ドラッグ&ロックン・ロール

音楽活動報告、よく思考のまとめを行います

孤独の撃墜王 vol.2

f:id:ryomasahiro:20211121005421j:image

 

日付変わって昨日

 

初めて新宿ACBというライブハウスでライブをしてきた。

 

その日を作り上げてくれた企画者は

zan80z(ザンエイティーズィー)

 

 

毎回思うけど、Vo.の吉田さんには頭が上がらない。

 

 

久しぶりの自身のバンドでのライブなのにも関わらず、本気で全バンド聴きごたえのあるライブだった事にまず、最大限のリスペクトと感謝を全バンドに贈ります。

 

 

 

この日感じた事を記録したくなったので、文章で残しておきたいと思う。

 

出演者順に。

 

 

1.Lana(ラナ)

 

実はLanaは4〜5年前に2度見た事がある。

 

1度目は、当時のShinobu Motoori Groupのアー写を撮ってくれた中谷氏に誘われて、当時の恋人と一緒に初めて見に行ったライブでもあった。吉祥寺WARPに観に行った。

 

2度目はテキーラパーティーエフェクトという、コレまた懐かしいバンドと、anoというバンドを見に行った時だ。

 

あの時とはだいぶメンバーが変わっていた。

 

そして、超絶進化していた。数年で、こうもバンドは変わるのかとリハーサルを見た瞬間から驚いた。

 

余談だけれど、今のLanaのドラマー岡田くんは、同門生でもある。

 

しかしそんな色眼鏡で俺はライブを見ない。見てつまらなかったら楽屋にでも篭ろうかと思っていたけれど、

 

なんのことはない、控えめに言ってもめちゃくちゃ良かった。

 

Vo.の方の歌が素晴らしかった。そしてそのエモーションにドラムががっちり付いていく。

 

 

いや、逆かもしれない

 

あのエモーションはドラマーが、そしてそこにがっちりついて行きつつブレない歌を歌っているボーカルなのかもしれない

 

しかしそんな事はどっちでもどうでも良いことだ、とにかく

 

サイドのベースとギターもそれぞれ個性があり、4ピースたる歌の突き抜けるライブを久しぶりに堪能できた気がする。

 

この日、客としてみれたライブの中では、歌のMVPは彼だ。本当に素晴らしい歌をありがとう。

 

 

2.Shinobu Motoori Group(シノブモトーリグループ)

 

俺のバンドだ。ここは自分で書くのはなんだか変な感じがする。

 

しかし書いていく。少し長くなりそうだ。

 

俺たちは

 

3ピースでのライブ編成で、やっとここまで来れたかと実感が湧くライブができた。

 

2ピース時代に感じていた没入感があり、2ピースでは再現なし得なかったアンサンブルに、片腕が届いた。

 

これからが本当に楽しみになってきた。

 

 

自分のバンドの事なので、もう少しだけ。

 

ライブハウスでのライブは本当に久しぶりだったのだけれども

 

うちのリーダー、シノブモトーリ曰く

 

ちゃんと上りを頂けたらしい。

 

数字は敢えて聞いてはいない。それは今はどうでもよかった。それよりも、このご時世で尚、バンドで稼げる事に感動したと同時に、お客さんにとても感謝した。

 

そして、なによりzan80zには頭が上がらない。(ここは細かくは書くまい、おそらくそう言う事だと思う。)

 

 

どうしてもお金のかかるバンド活動をする中で、大人になると嫌でもマネタイズの事が頭をよぎってしまう。とくにこのコロナ禍ではありとあらゆる所に傷を負った人は俺だけじゃ無いと思う。本当は、自分らの自分勝手な自分達のための演奏に価値があるのかどうか、常に批判的吟味が付き纏うのがバンドマンだと思うけれど、こういう事で、少し救われるものだ。

 

これも、「バンドマンにしか見えない、景色」の1つだろう。

 

そして何より目の前にいる人の顔をステージから見る事で確信する。続ける覚悟をし直せるってもんだ。

 

長くなった、次に行こう。

 

 

3.badactor(バッドアクター)

 

端的に言おう

 

 

マジでGOOD ACTだった。

 

驚いた。これぞライブハウスでしか出会えないバンドだった。いくら音源を探しても、この手のバンドに日本で生で会える機会はそうそうない。

 

俺もまがいなりに18年間ライブハウスに出入りしているけど、本当に稀だ。まるで媚びてない。1ミリも媚びてないのに、無限大に俺たちに優しい音楽。

 

申し訳ない。ブログに書いていてこんな事を言うのは本当におかしいのだけれど、

 

言葉ではうまく言えない、整理整頓の出来てない感情が俺の中にある。

 

そんな気持ちを思い出させてくれたbadactor

 

ありがとう、観れて本当に良かった。

 

 

4.Maxn(マクスン)

 

俺個人的に、badactorに対するアンサーがこのMaxnだった。

 

3年前、Shinobu Motoori Group(以下、SMG)のツアー

 

紫雲英蒔くツアーの山梨編 カズーホールで対バンしたバンドだ。

 

このバンドもLanaと同じく、出会った時からかなりメンバーが変わっていた。そしてグレードアップしていた。

 

Maxnのライブは、というより音楽性は、久しぶりに分析したくなるタイプの音楽だった。

 

おそらくだけど、かなり計算されて整った汚さのあるライブだった。

 

それこそ、ある種今回のラインナップの中では最も商業的かつ、一方で商業音楽の中では最もニッチ。

 

あり得ないジャンルとジャンルの融合とでも言おうか。

 

 

曲のタイム感や、ドラム、ベース、サイドギターの演奏はかなり計算された物で、曲にマストの物を意図してやっていたように思う。

 

もしMaxnの人がコレを観ていて、間違ってたらすんません。

 

 

しかしだ、それが物凄く秀逸で、素晴らしかった。

 

分かっててやってるあの感じ。とりわけ意図して変化球を投げるグルーヴを追求するSMGとは真逆のアプローチ。

 

そしてbadactorの様なエモーションに振り切ったライブとも良いコントラストで、流石に頷くしかなかった。

 

 

俺は多分、日頃から耳元で聴くとしたらMaxnだと思う。おそらく、めちゃくちゃ高クオリティの音源をだしてくれそうな期待をできるインテリヤンキーみたいなバンド。

 

そう、インテリヤンキーだ。

 

おそらくだけど、全てドラムの方が仕掛けてる。

 

少しだけお話させてもらったけど、仕事で叩いてる時の俺と思考回路がかなり似てる。

 

お見事でした。

 

 

5.zan80z(ザン"エイティー"ズィー)

 

はあぁあああああ素晴らしい!

 

 

もう文句なし。最高!

 

この日のバンドMVP

 

ただ、

 

 

一つ文句があるとすれば、ギターの方の酒井さんには、ロマンシングサガと言って欲しかったくらいだ。(わかる人にはわかるネタで申し訳ない)

 

この日のズィーの皆さんは、何というか、王者の風格があった。

 

流石は孤独の撃墜王

 

タイトルの伏線を演奏で回収するとは。

 

 

 

 

俺は観たんだ。

 

俺はかなり前の方のど真ん中で観ていたのだが、斜め前のお客さんが、吉田さんの歌い出し開始3秒で号泣していた。

 

 

流石にコレには俺もウルっと来た。

 

 

『わかる。そうだよな。待ってたよな。俺も待ってた。』

 

 

そう心から思った。

 

 

本当に良いライブを観ると、全てがどうでもよくなり、俺は踊ってしまうし拳をあげてしまう。

 

 

 

 

そんなライブだ。

 

本当なら

 

今年の7/30にこのライブイベントは行われていたはずなんだ。

 

 

しかし

 

 

コロナ禍で延期になり

 

 

一時は開催も危ぶまれた。

 

 

しかしその延期の甲斐あって

 

 

この数ヶ月間でさらに磨きをかけたライブを

 

全てのバンドがしていたんじゃなかろうか

 

 

お前ブランクあるだろってバンドは一つもなく、微塵も不安を感じさせないプレイヤーの集まりだったと思う。

 

 

 

 

 

俺たちは、この為に耐えて来た。

 

 

 

やっぱり生ライブが良い。

 

 

 

それを確信させてくれて、ありがとう全てのバンド

 

 

今日はあまり眠りたくない。ずっと考えていたい。

 

 

リョウマサヒロ

 

祖母と、表現者と、社会通念

 

今日は僕の祖母について書こうと思う。

 

ついこの間、僕の祖母は満90歳を迎えた。

 

f:id:ryomasahiro:20210928132337j:image
f:id:ryomasahiro:20210928132340j:image

 

 

この年齢にして、未だに絵を描いて自力で生活している生粋のアーティスト

 

 

僕が世界中のアーティストを思い浮かべて、最も尊敬する人は誰かと聞かれた時に必ず答える、最大のリスペクトを持っている芸術家。

 

 

彼女と僕は、僕が幼い頃からよく遊んだ。

 

僕が物心つく前から、祖母の家にはたくさんの画材道具と絵画があり、油絵具の匂いがする家が当たり前だった。

 

しかし、彼女は僕が子供の頃、絵を描く姿を見せてくれた事は一度もなかった。

 

「昔おばあちゃんが描いた絵だよ」

 

と見せてくれていたから、小さい頃の僕は、絵が上手なおばあちゃんだと、思っていた。

 

 

その頃から、あなたは良い芸術家になるよ。頭がいい。目も鋭い。たくさん考えて、疑問を持ちなさいと教わってきた。

 

僕はよく祖母に、大人になったら僕は絵を描くの?と聞いた。

 

すると祖母はこう返した。

 

描かなくても良いのよ。人はみんな何かを表現しているの。芸術家はなろうと思ってなるものではないのよ。

 

 

そう教えてくれていた事を今でもよく思い出す。

 

 

 

 

僕の祖母は、結婚して子供を産んだ事を機に、絵をやめていた。

 

およそ30年間。子供達が独り立ちするまで、筆を置いていた。

 

それは僕が大人になってから聞いた話だった。

 

 

それからまた筆を取り、台湾に帰り、売れた。

今では台湾の絵画史に名前を連ねる人になってしまい、現首相(台湾初の女性首相)から、同じ女性として素晴らしい功績を残した貴女に、是非私の肖像画を書いて欲しいと依頼されれば

 

「良い政治をしたら書いてやる」

 

と突っぱねるくらいにパンクス。

 

f:id:ryomasahiro:20210928133450j:image
f:id:ryomasahiro:20210928133448j:image

 

 

コレはもう昔の写真だ。

 

この話を聞いた時僕は涙が出た。なんでこんなにかっこいいんだろうと思った。

 

 

実は、彼女は筆を30年間置いていた理由があった。

 

それは祖父だった。祖父も聡明な人だったが、いつも彼女を台湾語でなじっていた。僕は台湾語が分からないから、何を言われていたのかは知らない。けれど、祖父は、自分より有名になりそうな彼女に常に腹を立てていた様に思う。だから、彼女が筆を取ると怒られていたという。

 

彼女は懸命に母親として働いたそうだ。

 

そして子供達が巣立った後、また芸術家としての彼女に戻った。

 

祖父の生前、孫の中で1番仲が良かった僕は、祖母から祖父の愚痴をたくさん聞いた。

 

 

そんな彼女は今、祖父の形見をいつも胸につけて、

 

「こうするとおじいさんが守ってくれるの。まだ一緒に生きているの。」と愛おしそうに僕に話すのだ。

 

 

僕には、まるで意味がわからないようで、なんとなく、最近は少しわかる気がする。

 

 

f:id:ryomasahiro:20210928134019j:image
f:id:ryomasahiro:20210928134016j:image
f:id:ryomasahiro:20210928134023j:image
f:id:ryomasahiro:20210928134012j:image

 

彼女の絵は、ジャンルで言えば抽象画だ。

しかし彼女の表現方法は他の抽象画とは違う。

 

彼女の中ではコレは写実された絵なのだ。

 

 

彼女は、絵では別のものを描きながら、根本にある生活をしていて見て感じた物を正確に描いている。

 

 

だから絵から見えるものとタイトルが、時々歪である。

 

(今回は敢えてタイトルは伏せておこうと思う)

 

 

 

僕が彼女から学んだことの多くは愛や生活感、そして表現者としての生き方だ。

 

 

僕は、表現というのは己が感じた事や、人間としての苦悩や気づきを形にするものであって、消して人にメッセージとして伝えるものではないと思っている。

 

メッセージの様に見えるかどうかでなく、メッセージを伝えたいという意識が自分の中にあってはいけない、そう考えている。

 

彼女は、伝えようとせず、意思表明を明確に映し出せば、必要な人に必ず伝わるとよく言っていた。

 

だから人からは抽象画に見えるくらいが丁度良いと言った。

 

しかし彼女自身は、抽象画を描いてるつもりはないと話した。

 

 

そして彼女は、創作過程で起きた予期せぬ出来事をそのまま利用している

 

偶然の失敗を、そのまま活かす。

 

思い通りにはいかない

 

だがそれが良い

 

たまたま跳ねてくっついた余計な色をそのまま使う

 

 

それが人生だと言う様に。

 

 

 

彼女はよく、人様の事はどうでも良い、自分はこうありたい。そう口にする。段々と歳を取り、少し性格が変わってきた様に思える昨今の彼女は、パンクス感が増した。最近は、それはおかしいこうした方がいいとよく人に言っている。笑

 

 

 

昔はとても優しいおばあちゃんだったが、それは母親という仮面を被った彼女だったのかもしれない。

 

母親を演じるために、愚痴を吐いていた。

けれども本当の彼女は、祖父を心底愛していた。

 

 

少し僕の話に移すと

 

 

 

僕は、「僕はこう考えている。」という事を常に周りに表現して生きている。

 

でも、僕の表現した事が誰かへのメッセージになるのを恐れている。

 

何故そう思うのか

 

どうしてそういう結論に至ったのか

 

何故それをするのか

 

その全てに理由を見出し、過程を明確にして、文章にする

 

音楽にする

 

叩く姿で表現する

 

 

人間はこうあるべきだと言うのは、ない

 

ないから、僕はこうすべきだと思うが、ある。

 

こうあってくれたら嬉しい、もある。

 

 

祖母に学んだ事を僕はやり続ける。それが、彼女の死後の1番の弔いになると確信している。

 

守破離で言えば、僕は

 

教えを守っている。

 

 

昨今、インターネットが普及して、目の前の人ではなく、不特定多数に向けて語りかける事ができるようになってしまった。

 

 

長らく時間がかかったが、やっと慣れてきた。

 

このシステムは、僕や祖母の生き方からすると、かなり面倒だ。

 

 

何故なら、何を表現しても、何かしらのメッセージになってしまう。

 

けれども、僕は過程で得た物事や考えてる事を、形として表現しているに過ぎない。

 

 

表現者は明確なメッセージを与えてはいけない。

 

 

僕が描くものは、僕の中の事であって、描いてる内容には大した意味がない。

 

 

一度、コロナ禍で書いたブログが、バズってしまった事があった。

 

 

コレが、僕が犯した失敗だった。

 

あれはメッセージになっていた。

 

最悪だった。本当に失敗したと思った。

 

メッセージが強すぎると、あらぬ方向へ伝わってしまう。

 

僕はあくまでも自分を偽りなく表現できる場所が欲しいだけ

 

祖母がそうだった様に。

 

しかし祖母は、自分を偽った30年間を過ごしていた。

 

この意味は一体なんなのか。

 

 

 

祖母はよく僕に言った。

 

 

あんたは良い芸術家になるよと。

 

正直もう辞めたいと何度も思った。しかし、祖母の意思を強く受け継げるのは、おそらく僕しか居ない。

 

 

そろそろ、破っても良いだろうか。

 

 

守破離とは何なのだろう。

 

 

人を大切に思うこととは、一体なんなのだろうか。

 

何かを見落としている気がする。

 

何かを。

 

 

 

偉大なる祖母へ 感謝を込めて

 

 

時間と距離の概念と、想像

今日は定例会のぐーたん会だった。

 

その時に話していたことを振り返り、久しぶりに自分の脳味噌の中を光が駆け巡る感覚が降りてきたのでそれをまとめている。

 

 

 

かの有名なアインシュタインは、時間は絶対的に等しく与えられた物ではないと説いている。

 

 

サイエンスライターであるサイモン・シンによれば、彼の特殊相対性理論をこう分かりやすく解いている。

 

 

アインシュタイン特殊相対性理論から導かれるもっとも驚くべき結論のひとつは、時間という慣れ親しんだ概念は、根本的に間違っているということだ。時間は絶対的に規則正しく、いつでもどこでも誰にとっても同じだと考えられていた。これに対してアインシュタインは「ノー」と言った。時間は伸びたり縮んだりし、人それぞれにとって流れ方が異なり、あなたの時間と私の時間は違う』サイモン・シン

 

 

僕は何も、時間と距離の概念について小難しい物理学的な話をしたいわけではなく、あくまでもニュアンスの話をしたい。

 

 

僕には目標や、近づきたい理想がある。

 

それは少なくとも20代の頃には朧げに遠くに見えていた物で、10代の頃には何となく勝手に、自分はそうなると思っていた物で、10歳未満の子供の頃は想像もしていなかった物。

 

 

例えば、概念的な距離として、10年前に掲げた目標があるとして、そこまでの距離を漠然と頭の中で測ってみる。その目標地点までは当然、辿り着けると思っているわけなので、目標、あるいは理想として掲げている。

 

 

そして10年後、自分はまだ同じ位置にいるとしたら、果たして10年前と同じように目標として掲げ続けられるだろうか?

 

といった自問の答えについてをまとめているのだけれど

 

 

僕の中でこの"10年経った"というのは、大きな条件変化のように思える。

 

 

 

例えばものが一定の速度で動いていたとすれば

 

当然、時間が経てば元の場所から動いているし

 

ある程度動いていればそれなりに時間が経っている

 

時間と距離というのはそういうものだと思う。

 

 

そしてそれは何も生き物や機械だけでなく

 

掲げた目標というものも一定の速度で動いていると思う。

 

それは、自分の中での意識の話だけれど

 

 

10年前と10年後で漠然と同じ目標を掲げていたとしても、その内容や求める物事のクオリティは変わってきていると思う。

 

それは周りを見たり経験をしたりしながら、同じだと思っていた目標も、10年間を比較すればやはり少しずつ変わっているという事だ。

 

 

 

 

 

しかし自分自身はどうだろうか?

 

例えば毎日生きていく中で、やはり人は少しずつ目標に向かって歩くものだと思う。

 

どんなに遠くても、吉祥寺から新宿までは歩いていれば辿り着ける。

 

そのようにして道さえ知っていればどんなに時間がかかっても死にさえしなければ辿り着ける事を僕達は知っている。

 

 

それと同じように

 

 

目標を掲げたり、理想論をかかげていて

 

そこにたどり着く道筋さえ知っていれば、あとはやるだけで少しずつ進むはず。

 

 

でももし

 

道がわからなかったら

 

自分自身は10年間同じことを続けて同じ場所にいまだに経っていると感じたら。

 

 

どうだろうか。

 

10年前と同じ距離、10年後の自分はあの時と同じように、そこに行きたい!と言えるのだろうか。

 

吉祥寺と新宿の場所は変わらない。けれども生きている中で無意識下で、目標や理想は変わっていく。

 

 

もし、目標や理想ばかりが大きくなり、自分は同じ場所にいると感じてしまったら

 

相対的には、後退して見えるのではないだろうか。

 

そんなの、悲しすぎる。虚しくなる。何かを諦めてしまう人の心理はきっとこういう事なのだろうと想像した。

 

 

もし

 

目標や理想が当時掲げたままでなく、ある種無理だなと感じて、少し小さなものへと、無意識下で変わっていったとしたらどうだろう。

 

1日1日の変化は微々たるものでも

 

 

10年間という時間はとても大きい。日々の変化には気づけないけれど、10年を比較したら一目瞭然の変化な気がしてならない。

 

これが、いつしか妥協してしまった人の気持ちなのだろうと想像した。

 

物事には順序があり、その順序にこそ目を向ける人はとても多いし、僕もその1人だけれどと、それ以上に、その物事自体が変化している事にも目を向けなければならないと感じた。

 

 

僕は音楽を始めて18年になる。

 

 

どんぶり勘定で、10年

 

音楽を始めた頃、10年後には僕は何かのバンドでメジャーデビューしてると思っていた。

 

というか、メジャーデビューという言葉も知らなかったから

 

 

売れてるだろう

 

 

などと、どんぶり勘定した。

 

 

このように、視認した距離感が全く実際のものとは異なっていて、10年で辿り着けると思っていた距離が、18年経ってもたどり着けていないと知った時、かなり愕然とした。

 

 

やればやるほど、進むスピードを理解すればするほど、愕然とする。

 

 

距離の目算も違ってれば、やるスピードも誤ったのかもしれない

 

しかし、音楽を始めた18年前からすると

 

僕はずいぶんと前に進んだと思う。

 

 

逆に言えば、進んでしまっているから、今更振り出しには戻れない。戻るのにだってまた時間がかかる。

 

だったら前に進む以外に方法はない。

 

 

これが、僕のように諦めきれない人の気持ちなんだと想像した。

 

 

 

 

時間をいくらかけても、その距離必ず進むとは限らない。

 

それに、僕が感じた18年間は、かなり長かった。一昔前に、こんな様にドラムを叩ける様になったらいいな。そしたら売れるんだろうな。と思っていたスキルは身に付いた。とてもじゃないけど人様に聴かせられるような演奏じゃなかったあの頃、必死に想像していたドラムはいつの間にか叩ける様になっていた。

 

でもこんなに時間がかかるとは思ってなかった。

 

バンドの中で叩いてる僕の姿は、間違いなく目標に近付いている。昔はこんな風に叩けやしなかった。

 

 

 

けれどできる様になった結果、

 

 

こんなの大した事なかった。

 

 

きっと他にも大切な事があるんだと思う。

 

 

でも、18年間かければある程度辿り着ける事を知った。

 

 

もうちょっとスピードを上げる方法もたくさん知った。

 

 

だから、時間と距離だけでなく、加速度という概念がある。

 

 

 

ポジティブな内容として終わらせたいから、普段は言えない事を敢えて書くとしたら

 

 

この今のスピード感は、この先の10年をさらに加速させてくれるはず。

 

 

 

 

 

【祝】歳を取りました。反省します

今年、僕は32歳になりました。

 

先に書くと、32歳の僕の目標は

 

「仕事の基礎の基を押さえること」

 

 

 

どうも皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんわ。

 

毎年、年始や誕生日に、個人の抱負をよくブログに書きます。リョウマサヒロです。

 

 

30歳になった2年前の9月は

 

30代は楽しいよと教えてくれた諸先輩方を思い出しながら

 

薬剤師とドラム、どちらもプロになるという目標を掲げました。

 

 

 

 

その翌年2020年初めは

 

ドラムの初心を振り返りました。

 

 

 

 

去年2021年9月には

イケオジになりたい!という抱負をさらに強くしました。

 

 

今年、2021年の年始には

 

公の場で初めて政治的な話を考えて、コロナ禍を振り返り、今後どう選択していくかを考えました。

 

 

 

 

今年2021年9月

 

 

僕は何を思うのかと自分に期待していましたが、あろうことか、初めは、今の段階では何も思いつきませんでした。

 

なので、具体的に考えてみることにしました。

 

 

 

 

自分のプロへの憧れ

初心

歳の取り方

生きる上での選択の仕方や政治の話

 

振り返ってみると、一応、30歳になった時に立てた目標には少しずつ向き合ってる気がします。

 

それと同時に、思った様に上手くは行かなかった気もします。

 

これらを僕は、具体性が欠けていた、と反省しています。

 

仕事面でいえば

 

薬剤師の方は割とかなり躍進した年になったと思います。

 

それと同時にまた一から一つずつ学ばなければならないフェーズに来たと思っています。

 

僕は今とある小さな会社で、超かっこよく言えばCOOをやっています。

これは、僕の人生設計にはまるで組み込まれていなかった、ある意味超ラッキーチャンスみたいな物でした。

当初、半分ニートみたいな所から初めて、20代後半を過ごし

 

色々な人から、その生き方良いなぁと言われつつ、知らない人からは、ニートみたいなことしてっからダメなんだよと反感を買いました。

 

その間に培った物というのを、僕には、たまたま、深く評価していただける人が居たので今に至ります。

 

いなかったらおそらく、今でもただパートタイムとして働き、お金がない!と叫んでいたと思います。なのでこれは稀有な例です。

 

ただニートに毛が生えた様な生き方をしていた訳ではなかったのだけれど、人様からは仕事をしてない人に見えてた時代が僕にはあります。

 

あまり人に話していない部分の僕の歴史です。

 

そんなこんなあり、

 

今に至るまでの下準備を僕なりにやっていたわけでした。

 

しかしそれも、たまたまそれを見抜いてくれる人がいたから上手く行った様な物です。

 

今、小さいながら従業員を持つ様になりましたが

 

実際のところ、僕自身がそれだけの事をやる人間かと問われれば

 

自分ではあんまり、まだまだ適任だとは思っていません。

 

でも、やると言ったので、やるしかないのが実際問題な訳です。

 

 

 

今年

 

 

人生で初めて、100万単位でお金が動く、面接というのをやりました。

 

 

相手の実力が紙っぺらと会話でしか計れない

 

 

まさに1回100万円ガチャ。

 

 

会社の金を使う単位としては、おそらく小さな額ではありませんが、そんなに大きな額でも無いと思います。

 

 

しかし、僕からしたら大金です。

 

 

それで失敗したら、選んだ僕のせいです。

 

 

 

そんな大金を動かすのも、実際には社長が別で居るので、出資は僕じゃありません

 

 

なので、

 

 

「他人の金だから、まぁ、いーや」

 

と、ある種開き直って人を選んだ僕です。

 

そんくらいにはかなり適当なので、変なプレッシャーは感じずに

 

冷静に仕事ができました。結果、良かったと思います。

 

 

見事に素晴らしい方を選ぶことができました。

 

 

 

仕事面の音楽の話で言えば

 

 

打って変わって、

 

僕は使って頂く側です。

 

 

そこで気付いたのは

 

今の僕は分相応だという事です。

 

自分が実際、人を雇う側に立つことが出来たので、今自分に足りない物がとても明確に分かりました。

 

 

今僕に仕事を振ってくれる人と言うのは、僕がとても信頼してる人でもあります。

 

絶対に変な様にはしないと、僕は確信し

 

お相手もこの人ならきっちりやってくれると信じてくれています。

 

それは昔からお互いを知っているからです。

 

 

僕が、何を得意として何を考えてドラムを叩いているのかを良く知っていて、それを欲してくれてるからです。

 

 

 

仕事の量は確かに少し増えました。

 

 

しかし、

 

(少しビジネス的な話で言えば)

 

新しいクライアントさんからのお仕事は、

 

その人達からの口コミで広がっています。

 

 

裏を返せば

 

完全に新しい所からの仕事の発注は

 

"一切来ていない"

 

 

これは、

 

僕に、

 

・全くと言って良いほどまとまった商材がない

 

・実力以前に業界で当たり前である事が整っていない

 

コレに尽きると思います。

 

 

・譜面が読める

・イヤモニを持っている

・ドラムセットを持っている

・譜面が書ける

・領収書を電子媒体で発行できる

・レコーディング環境が整っている

・業界人としての立ち振る舞い

・その業界で使う名刺がない

・他にもたくさん僕がまだ知らない事

 

コレらが整っていません。

 

口コミで仕事が広がる時は、それらがなくてもそこに価値があれば仕事が来ますが

 

 

全く誰だかよく知らないけど実力で選ぼうと思った時は

 

実力以前にそれらが整ってなくて仕事が来ないことの方が大きいです。

 

 

そしてプロの方々のスキルはとてもじゃないけど計り知れないと言うことも学びました。

 

 

 

僕も、得意なジャンルなら負けない自信はあります。

 

しかし、プロというのはそういう物じゃありませんよ。と、言うのを僕は学ぶ事ができました。

 

薬剤師が

 

皮膚科なら負けないけど他は自信ない

 

 

 

なんて言ってたら話にならないのと同じです。

 

 

僕が仕事を振る時

 

いくら実力があったとしても、基本の基が揃ってない人に仕事を振るなら

 

 

基本の基が揃ってる実力者に仕事を振ると思います。

 

 

ただ、もし仮に、偏った技術を欲してる時は、それらが整ってなくても、それを得意とする人を雇うかもしれない。

 

 

なので32歳の僕が思う目標は

 

 

 

まずは

仕事における基本の基を押さえること

 

 

にしようと思います。

 

 

 

 

 

 

ここまで長い、極私的な文章を読んでくださってありがとうございました。

 

ここから先は、ちょっとしたおまけです

 

コレから何らかの仕事を本気でやりたいと思ってる人に向けて、

 

 

超ビジネス目線で

 

 

ビジネスマンになりたてで僕が目からウロコだった話をしようと思います。

 

僕の周りには、実は音楽のプロになりたい人がたくさん居ると思うので、薬剤師としてだけでなく、会社の役員としての僕から一つアドバイスです。

 

 

 

 

まず、名刺を作ってください。

 

僕は今、企業の方々からオファーを受けて、新しい店舗を作る時のアドバイザーの仕事もしています。

 

それは全て、会話と、名刺交換で仕事がつながっています。

 

 

名刺には役職、もしくはできる事を明確に書いておくと良いです。

 

 

僕の名刺には

 

 

薬剤師

 

とだけ書かれてる訳じゃありません

 

 

会社での役職や

 

持っている認定資格

 

その全部が書いてあります。

 

 

ビジネスの場合

 

会話と、名刺の情報

 

それら全てから、人は相手を半分以上判断します。

 

 

 

それから、自分には出来ない部分を補える人と、チームを作ってください

 

 

僕は、店舗展開のアドバイザーの仕事をする時、必ずその道のプロ、あるいはかなり情報を持った人とタッグを組み仕事をします。

 

 

ドラマーで言えば

 

レコーディング環境は整ってなくても、自分のドラムプレイをよく知った人や、レコーディングエンジニアを1人か2人紹介できないといけないと思います。

 

 

コレらはどの業界でもおそらく、当たり前の事です。

 

 

実際その人達が仕事に関わらない場合も多いし

 

先方が既にそう言う方をチームに入れてることも、とても多いですが

 

 

もし、チームに欠けた人がいて、その人も補えるコネクションがあれば、

 

それだけで仕事を頂けることも実際にはたくさんあります。

 

 

 

 

そうして仕事をした人とコネクションを重ねていくと、いつだか、色々な話が来る様になるのです。

 

 

これは、僕をヘッドハントして下さったオーナーから教わった事です。

 

 

 

 

ちなみに、どうやってチームを作るかと言うと

 

 

なにも、チーム組みませんか?

 

 

と言うわけではありません。

 

 

 

何をするかと言うと

 

 

とにかくそのチームを組みたい人に仕事をお願いし、無理難題を聞いてもらう代わりに、あちらの無理難題も聞きまくる

 

 

これだけです。

 

 

良いビジネス関係にある人は、

 

仕事での恩を、必ず仕事で返してくれます。

 

 

 

そうして信頼関係ができれば、新しい仕事が自分に来た時に、必ず助けてくれます。

 

 

おそらく、僕からは見えない音楽のプロの方々は、これらを当たり前の様にやってると思います。

 

 

医療現場では

 

 

 

医療だからビジネス目線を忌み嫌う人もいますが、実際問題、仕事として成り立たないと継続できず、結果患者さんに迷惑をかけることになります。

 

医療現場は

 

ビジネスの先に、やりがいのある仕事が待っています。

 

 

 

音楽も、おそらく同じなのではないかと思います。

 

 

 

 

しかし、

 

 

いくら実力があったとしても、戦えない理由が、僕は僕自身に向けて、まだまだあると思っていて

 

 

もちろん実力も足らない部分がたくさんありますが

 

 

その実力は、仕事で磨く物だと教わりました。

 

 

いくら練習しても

 

本番で培う経験値とは比較にならないし、求められるスキルやテクニックも、練習と本番ではまるで違います。

 

薬剤師で言えば、どんなに机に向かって勉強した内容が優れていても

 

それを使った経験がなければ話にならないのです。

 

事前準備と、練習

 

とにかく仕事を取ってくる準備を怠らない方が、良いのかなと、自分にも言い聞かせて終わろうと思います。

 

 

リョウマサヒロ

 

 

 

 

 

 

本日のローライト

 

地下の密室で、久しぶりに先輩に会い

 

遊びの延長戦、放課後の続きのような時間を過ごした。

 

密室、といっても空調は快適で、変わったことと言えば、必要以上にマスクを外さない、距離はソーシャルディスタンスディスタンスくらい空けて、楽器で遊んだこと。

 

 

その後は恒例、なんてたいそうなモノじゃないけど、まあ、いつも通り。茶でもしばきますかっていう事で、人が少なくなったこの場所で、言葉を交わす。

 

 

 

茶をしばきに行きたいところだけれどもコーラを2人で飲むあたり、お店に入るのもなんだかね、な雰囲気だったのだろうか。はたまた地下のこのスタジオの居心地が良すぎたのか。

 

 

話はほどほどにして楽器をさわれよ、という事を昔から教えてくれてたこの先輩とは、何故か今となっては物凄く話が弾む。

 

僕がこのところ仕事にあっけに取られて見切れてなかった周りの近況をたくさん聴いたり、僕がまだ行った事のないステージにいる人達の話を聞かせてもらって、凄く学ばせて頂いた。

 

 

この手の話はいっっっつも僕がせがんで聴いてしまう話。

 

でも今と昔で違うのは、あの頃は、へー凄いなぁ、良いなあ!と目をキラキラさせて(実際はしてないかもしれないけど)聞いていた所が

 

 

なんだか少し話が分かるようになって来たこと。

 

 

今日は先輩とのスタジオと、自分のバンドとのスタジオの2つがあった。

 

スタジオの先輩との遊びは、ウォーミングアップのつもりで、と話していたけど、むしろメンタリティのウォーミングアップは会話の方でたくさんのモノを頂きました。

 

ありがとうございます。

 

 

お陰様で、今日のスタジオの演奏は、気合が2割くらい増した気がする。

 

集中力が高い人と会うと

 

自然と自分も集中力があがるこの感覚。

 

 

凄く好き。

 

 

 

 

 

今まで精神論と呼ぶしかなかったことが、自分の中で習慣と理論になりつつある昨今

 

 

悩む事も増えて、悩む時間は無くなっていく昨今

 

 

やはり、捨てるに捨てれない未来の話と

 

 

本当はいつだって捨ててしまえる過去の意固地と

 

 

残ったのは積み重ねてきた時間のみ

 

 

そんな物を肌で感じる時間は

 

 

やっぱり地上にはあんまり見当たらず。

 

 

この、

 

あるべくして当たり前だと思っていた、今や危ぶまれつつある、

 

"地下室からの挑戦状"がいつ叩き付けられるのか

 

 

万全の準備で待つ事にした、今日です。

 

 

 

 

 

ちなみに、ローライトというのは、ハイライトの対義語で

 

取るに足らないようなこと

 

を指した言葉だそうです。

 

 

誰かにとってはローライトの時間

 

 

僕は未だにキラキラとしたモノに見えています。

 

f:id:ryomasahiro:20210830232133p:image

 

 

 

 

リョウマサヒロ

iPhoneの謎設定を解明【iPhone・音ズレ】

動画編集してて割と疑問だった事の一つ。

 

iPhoneで撮影した動画を元に、叩いてみた動画をつくったり、音声別撮りで後から合わせたり、原曲を動画にあてがうと

 

死ぬほどズレていく。

 

始めは自分がずれてんだと思っていましたが、

 

んなわけあるかよってレベルでズレてったのでマジでなっとくいかなかった。

 

最終的に1拍(1拍はいいすぎた、音符ひとつ分)くらいズレてんのは、これはミュージシャンとしてはありえない。

 

でも音を合わせたらやっぱりずれてる。何かおかしい。

 

しかし。

 

原因が解明しました。(だいぶ前に教えて頂いた内容です。)

 

 

 

この内容、Google検索だと

 

iPhone 音ズレ」

 

で調べても

 

調べても一向に出てこないんですね。

 

検索に引っ掛けるには、専門用語を入力しないと出てこないし、なんならiPhone独特の言い回しの設定で、ヒットするのは奇跡。

 

そんな内容で苦労したのでブログにしました。

 

 

結論を先に言うと、iPhoneは出荷デフォルト時には

 

『実際録画した長さより微妙に長さが変わる設定がデフォルト』

 

 

 

その解消法がコチラ

 

 

『設定→カメラ→フォーマット』

 

f:id:ryomasahiro:20210520005921p:image

(この画像の状態が正解)

 

 

デフォルトではコレが上のやつになってます。

下のやつにすると、その現象が解消されます。

 

↓少し詳しく書くとこう↓

 

結論から先に書くと、iPhoneで撮った動画を何かしら動画編集するなら、

 

互換性優先を選べば間違いありません。

(バージョンにより相互性優先と表記)

 

 

 

 

iPhoneiPad)では、高効率と互換性優先の2種類からフォーマットを選ぶことができます。

 

高効率は、HEIFやHEVCと呼ばれるデータ量を高効率で圧縮できるフォーマットで保存されます。しかし、このファイル形式はiPhone以外、PCや他スマホでの視聴ができない場合があります。

 

また、この高効率というのは

 

「可変フレームレートで撮影している」状態をさします。

 

これはフレームレート(ざっくり、動画の再生速度みたいなもの、というか撮影対象物のコマ送りの仕方に関係する)が撮影された動画内で一定ではないという事です。

 

これは動きの少ないシーンでフレームレートを省エネする傾向があります。

 

もっと詳しくいうと、動画というのは、超高速連続写真を順番に並べてる、いわゆるパラパラ漫画と同じ方法で動きを映像として再現しています。

 

いわゆるヌルヌル動く動画というのは、その連続写真のシャッターの速さが異常に早くて、めちゃくちゃ細かく刻んだ、みたいなイメージを持ってください。

 

なので早い動きの物の撮影も、シャッタースピードがめっちゃ早ければ、その写真のパラパラ漫画でくっきり動いて見せれるわけです。

 

一方で、フレームレートが可変というのは、

 

そんなに早いシャッタースピードじゃなくていい所は自動でスピードを落とすという事です。

 

つまり、動画内のその一コマ一コマの写真にあまり変化がない部分は、かってに認識してフレームレートを落としてしまいます。その仮定で、微妙に実際の時間軸より動画内では早く動いてしまったり、遅くなったり、するわけです。

 

その圧縮率はそもそもの撮る時のキレイさや滑らかさ(解像度やfps)にもよって変わってきます。

 

つまり

 

iPhoneでの撮影後、撮影したデータをすぐにwindowsのPCで視聴する・撮影した動画の編集をする・音声を別で録音してあとで合成する・叩いてみた動画など映像にさらにシビアにタイミングを合わせて音声を当てる事

 

などを考えているようでしたら、互換性優先を選択してください。

 

この互換性優先というのは

先程の話でいえば

 

『固定フレームレートで撮影』してるモードです。

 

つまり、これが実際の音声と映像にズレが出にくいベストな状態です。

 

また

 

互換性優先(相互性優先)では、動画はMP4という汎用性の高いファイルフォーマットで収録されるため、基本的にどのPC、どのスマホでも変換をせずにすぐに視聴が可能という特徴があります。


唯一のデメリットは4K60fpsは非対応(らしい)という事くらい。

ただ、個人的にはコレはファイル容量がデカすぎるのであまり使わないです。

 


もし使うとしても、このクオリティを求めるならばフルサイズのカメラを使用することがてっとり早いので、iPhoneで撮影することはほぼないです。

 


迷わず相互性優先を設定してください。

 

 

ちなみに、僕がお伝えできるのはここまでなんですが、

 

どうやら

 

やっべ!間違って高効率で撮影しゃったよ!って場合も、

 

可変フレームレートを固定フレームレートに直したり、可変フレームレート対応の動画編集アプリもあるらしいです。僕はそれは使わないので、もっと詳しく人に聞くか、必要なら調べてくださいね。

 

 

リョウマサヒロ

 

 

 

#一蓮托生

f:id:ryomasahiro:20210509114903j:image
f:id:ryomasahiro:20210509114908j:image

 

(※こちらは終了したイベントの日記です)

 

改めまして、計6日間のイベント、お疲れ様でした。LANPAZIE柴田さん、お疲れ様です。

大塚MEETS長谷部店長は運営兼DOSTRIKEでの出演お疲れ様です。そして、PA八木さん、全日程本気にありがとうございました。


僕は初日、REPEATERとLANPAZIEで。最終日にはLANPAZIEとShinobu Motoori Groupで参加し、5日目をギリギリ見にいけました。

 

その中で唯一思った事は、みんなコロナ禍で仕上げて来たな。って事でした。皆、自信と確信があるから一切キャンセルが出なかった。流石でした。

 

このイベントに向けてのトークイベントで一蓮托生が発足した当初の事を聞き、また過去のイベントに参加して見てきた事、そして去年やるはずだった1週間ぶっ通しの企画が期限未定の延期になった事、そして今回完走しきった事。

 

知らず知らずのうちに刷り込まれていた、「今年もやってきた」感が去年なかった事の意味。

 

顔を合わせていない間に何をやって来たかがわかってしまうステージ。

 

深く話せばきっと各々、生活で変わった事や周りに起きた事はあると思う。

 

けれども何食わぬ顔して皆、いつも以上にいつも通りにライブを行う重心低めな姿勢。

 

うわついた人が周りに見当たらない、皆の目がこう語る。演者、お客さん、スタッフ、そんなの関係なく

 

『俺は、私は、ここに居ていい。』

 

そんな場を作り上げて頂いたのだと思うと同時に、僕はただその日そこに来ただけの人。

 

配信をやらなかった選択肢、本当に嬉しかった。

 

便利な世の中になったからこそ改めて見えて来た、普遍的な価値"来たら見れる"という条件付きのナマモノ。

 

演者からしたらある種の通過点かもしれないし、禊ぎだった人もいたかもしれず、目標地点だった人もいたかもしれないし、初めての経験をした人もいるかもしれないし、日常だった人も居たかもしれない。

 

 

来て早々、

「やっぱ酒飲みたいよな」

 

が聴こえてくるフロアでは、イベントが終わる頃には皆満足して帰っている様に見えた。

 

 

 

かく言う僕にとってはというと、あんまり分かってない。分かってないけど分からないわけじゃない。

 

答え合わせが出来た。

 

初めての経験でもなく、通過点でもなく、目標でもない。カッコ悪い言い方をすれば、

 

 

「また来たよこのイベント疲れるんだよな。」

 

が先に来る。

 

そしてやり終えたら

 

「終わっちゃったなぁ…」

 

がやっぱり来る。

 

案の定、終わった翌日は清々しい気持ちで目覚め、3歩ほど歩いて全身が痛い事に気付いた。

 

きっとこの身体の痛みが消えてる頃には、またやりたいなぁって思ってるんだろうな。

 

リョウマサヒロ