ここ最近の限られた時間の中、具体的には通勤時間と休憩時間、そして寝る前の少しの時間以外では常にドラムの事かドラムの事かドラムの事を考えつつ、その実大半は仕事の事やビジネスの事や、働き方の事を考えている。
そんな限られた中でここ最近考えていたのは、
今日のタイトル、あるいはテーマ。
でも今日は久しぶりにブログを書く時間を作ってみたからめちゃくちゃ長いものを書こうと思っている。
なのでテーマに入る前に序文の様な物から入ろうと思う。
序
俺は薬剤師をやりながらバンドマンをやりつつ、ドラマーとしても仕事をしつつ、哲学的というか思想的と言うか考え事を文章しながら、人間という職業をやっている。
その歴を長い順に並べると
人間
哲学
バンドマン
薬剤師
ドラマー
こんな感じだ。
バンドマン歴18年を基準にすれば
人間歴32年
哲学を文章化歴26年
薬剤師歴8年
ドラマー歴4年
といったところ。
なんとなくコレで言いたい事が伝われば嬉しいけど、つまりドラムと同じくらい僕は考えた事を文章化したいし、文章化するために考えたい。
俺は、考え事をする無駄な時間が取れなくなるとストレスが溜まる。そんな中、昨今考える為にやっていた事は、とにかく人の議論を見る事。人の思想を聞く事、論理的思考を知る事。
この3つ。
薄利多売の人間という職業での共通の通貨は
お金ではなく時間だと思っている。
人生という長い時間、あるいは短い時間は必ず残りゼロになる事は今のところ決定していて、しかしあとその貯金がいくらあるのかが見えないという、真面目に考えるもとても恐ろしいルールを設定されたゲームの中にいる俺たちは、本当なら目標に向かって突っ走る事よりも、いかに無駄な時間を楽しく作るかを重要視した方が幸せになれると思っていて、そんな事を言うと日々一生懸命邁進してる人にそっぽを向かれそうだけど、コレは俺にとって真理に近い。
なぜかと言うと、自分に与えられた時間の残りがわからないからだ。
急にゼロに向かって行く事を実感する世の中が来た。そして、生命の循環が閉ざされた世界が来た。それがコロナ禍だったと思う。
俺にとって目標というのは、あくまでも目標が達成されるまで自分に時間が与えられてる物だと仮定して立てる物なんだけれども
それよりも人間の本質的な面白さって、そんなのやってなんの意味があるのか分からないけどずっと続けて、そしてなんの意味があったのかわからないまま終わって行く事に幸せを見出せる事だと思っている。
だから、無駄な時間というのをとても楽しむ事が何よりも最重要課題であり、生きる上でやらなければならい、つまり必要な事をやる時間をいかに楽に過ぎ去るかもまた大変必要な物だと思う。
夢でもいい。無理だとわかってても諦めきれない物という人もいる。
俺にとってはそういう希望みたいなものは、『無駄を楽しむ事』という自分的に超ポジティブな言葉に集約されている。
そういった意味で俺は何かを描き続けていたくて、考える事というのは他者や世の中を傍観さえ出来れば無限に出来る、いわゆる超コスパの良い『暇つぶし』である。
それが理由で、前日行った対談では、
※5時間にわたる対談、ぐーたんラジオvol.2
『もっと自分自身のためにやってると胸を張って言える人が増えたら嬉しい。俺にはそれがタブーかとでもいう様な雰囲気を感じている。』と叫んだ。
仕事は、ぶっちゃけどうでもいい。お金持ちにはなってみたい。しかしそんな事は二の次三の次。金はもう十分だ。ただ好奇心から、お金持ちの生活をしてみたい。
きっとお金持ちの生活は向いてる気はしてるけど、お金持ちになる才能があるのかどうかが不明で、だから知りたい。
理由は簡単で、お金持ちは色々な無駄な時間の楽しみ方を知ってるように思うからだ。
お金を稼ぐ事が目的ではなく、なんというか、面白い事をやるために人生を使ってる様に俺には見えていて、俺には見えない景色から世界を見ているんだろうと感じるからとても魅力的だ。そしたら考え事も捗りそうだ。
だから、俺は最近はいわゆる「成功者」と言われる人達の話してる内容をよく聴き、その人たちが考えてる事を聞いたり、質問に対してどう答えるかを知りたくて、またその思考回路を学びたくてウズウズしている。
そんな中で自分の中で一つ書けそうな考えがまとまったから今日はブログを書く。
テーマ:分断と闘争、あるいは革命と希望
世の中的には、数字と統計上ではコロナ禍は収束に向かっているように見える中で、その実数字というのはいつだって顕在的、つまり表面化している部分でしかなく、潜在的、つまり見えない部分では一体どうなのか分からない今。
コロナ禍では、事日本のことを言えば、貧困者の分断が起きたと、たくさん言われている。
話は変わって、世の中的に見れば
日本の日本人が言う分断は、大した事がないのではないかと今は考えている。
というか、分断でいえば、起こり始めている瞬間の様に思う。
大した事がないと言うのは、当事者目線ではなくあくまで起きてる事象を広く捉えたときの話だ。
例えば香港の様に、クーデターが起こったわけでもない。
暮らすのに苦しくて自殺をしそうになった人はたくさん居るらしいし、自殺した人もたくさん増えてはいるが
暮らせなくなって人を殺して家を奪う人が続出している国や、住む地域に食べるものがなくなり強盗致傷事件が自分の家の隣で起きてるような場所が世界中である事を考えると、まだまだ国的には裕福かつ恵まれて、しっかりやっている方だと思う。
というのも
最近少し歴史を勉強しているのだけれど
本当に取り返しのつかない『分断』が起きている時には、いつだってそれを覆そうと革命やクーデターが起きている。
その背景には、覆せるかもしれないというある種の希望があって、自分の命をかけてでも動く人が大勢出てくるものだからだ。
日本での問題は今起き始めている分断そのものではなく、
分断を起こさせまいとのらりくらり、やんわり誤魔化していつの間にか俺たちが気づいた時には沼にハマる様な、隠蔽的な、作為的な、つまり自分自身が格差の中に閉じ込められている事に気づけない様に誘導する、大切な事実をはっきり述べず、具体性の欠けた夢だけ見させる系の政治そのものが問題だと思っている。
後は、国民性が革命やクーデターを起こさない理由なのかとも一瞬考えたのだけれど
むしろそうではなく、こういった閉鎖的な空間の中で俺たちは、何かを変えられるかもしれない希望を全く持てていないことが原因なんだと思い始めた。
だって選挙に行って何か変わる気がしたか?
そう言う話と似ている。
まったく変わる気がしないのだ。世の中が変わる事を、変わってくれる事を、あるいは変える事を諦めている雰囲気、これをめちゃくちゃ感じている。
けれどもコレは本当に真理だなと思っていて
1人の力でどうにもできない事なのだ。
だから同じ思想の人達と結託を起こして変えようとするか
閉鎖的に自分自身のやりたい様に生きるか
諦めるか
に分かれるのだと考えていて
そのうち革命を起こすにはそこに一つの希望がなければならないのではないかと歴史が教えてくれた。
調べてみて欲しい。
分断が起きたとき、排除される側は、排除してる側を、本当の意味で殺している。
その中で多くの血が流れている。これは、先にあげた二つの例だけとっても明確に記録されているけれど、平時であればまずありえない異常な事だ。
人がすぐ死ぬ、それが分かっていて、明日にかけて特攻する。
そこに未来ある若者が参加するのだ。
大変由々しき事態である。
でも、それがあったから今がある。明治維新もそうだ。日本でも起こっている現象、倒幕現象。つまり国民が幕府を本当に殺しにかかった時代。この時代での分断は、かなり酷い。僕のブログでは書きたくない虫唾が走るほどの胸糞の悪い分断と淘汰が起こり、人々は闘争した。
でも結果、近代化革命へとつながり、法制から身分制度、はたまた流通や産業、教育までもが変して、現代につながる国変が起こっている。
じゃあ今それをやる気がするか?本当に変えようと思うか?一応のらりくらいこのままで良いと思ってないか?自分の命をかけてまでそれやるか?自分の子供が暮らす未来に向けて今お父さんやお母さんをやってるあんたは死ねるのか?
俺は子供はいないが、当然答えはノーだ。
ぜっっっったいやりたくない。
と言う事は、少なからず、そこそこなんとか暮らせる人達にとって、自分が死んでまで変えたい内容というのが、ないのだ。
それもそのはずで、政治が、変えなくても大丈夫っぽく演出している。だって政治の役割は暮らしやすい国である事をアピールする事でもあるから、そりゃ、「この国やばいっす」なんて事大々的にアピールしないし、
俺たち国民だって、俺らの国やばいって言うのを受け入れるより、「ま、そうは言っても生きてるうちにはやばいことにならないっしょ」と思っていた方が楽なのだ。
それがどんなに本当にやばいらしくても、それを受け入れるメンタリティがない、その内にかなり色々な政策がうやむやになり中央の都合の良い方へ話が進んだっぽい。
そりゃそうだ、コロナ禍に、自分の家業が危ぶまれたこの時代に、自分の生活を脅かしてきたウィルスが何処にいるか分からない恐怖があったこの時代に、いちいち見ず知らずの人を含めた国全体の由々しき事態まで思考を走らせる事が出来た人がいったいどれくらいいただろうか?
そうやって思考は停止して行く。
俺は、そう言った経緯からでも、本当に本当に悲惨な国政だったならば、革命やテロ、クーデターは起きて当然だと思う。
でも起きなかったのは
一つは、俺の住んでる国の状況は、『分断』というテーマについては
まだ、そんなに悲惨ではない事。
その次に
何も変わる気がしない、つまり希望が見えてこない事
そして最後に、
実は存在する由々しき事態を国が隠している事。
これらは、このテーマを考える前に
公文書が指摘削除されてることや、税金の使い道の公開がされている様でその実記録されてない事
軍事力をつけて核を持たないと本当の意味で世界戦争になった時に真っ先に抹殺されるのにも関わらず、未だに核は反対、原発は反対、なんか怖いと言ってる人が多い事
などから、仮説を立てた。
日本はまだぬるま湯に浸かれるだけ余裕がある。
例えば
北朝鮮をみて欲しい
なんであんなにクソ小さい国が
好き放題やってる国が
めっちゃでかいアメリカや、世界人口No.1の中華人民共和国から
ミサイル1発すら攻撃されないのか
日本はこんなにアメリカに対して物を言えないのに
北朝鮮は余裕で、対等な立場に立って交渉してるのか。
それは
シンプルで
核を持ってるからだと分かった。
核は非常にまずい。そして、少し前にニュースになったが
日本を余裕で攻撃できるミサイルの稼働実験を行った。
なぜ日本なのか
アメリカだと火種になるけど
日本相手じゃまともな戦争にすらなずにボコれるからだ。
核を持ってる持ってない
これだけで
アメリカや中国と対等に話せるかどうかが変わる。
そう言った意味で、核反対、集団的自衛権反対、反対までいかなくてもなんか怖い、そんな事を大半が考えていふ日本人はほぼほぼ、平和ボケしてる。コレを狙ったのだとしたら、お国さんは日本人の教育に大成功している。
コレはあくまでも論調の一つで、一つの考え方に過ぎないけれど、多くの、成功者で日本の未来に目を向ける余裕のある人達が危惧してる内容を
俺目線で俺の言葉で書いた内容。
ただ、唯一
俺は思う。
俺自身はそんな事はどーーでも良い。
みんな死ぬならそりゃそれで良い。
ただ
自分1人だけが死ぬ事だけを恐れて生きている。
だから自分の人生にフォーカスしまくりたい。自分の為だけに生きていきたい。それが誰か人のためになればそれはオプションとして幸せだ。でも人の為に生きる事は残念ながらめちゃくちゃ二の次だ。ビジネスでないと出来ない。自分が死ぬくらいなら革命なんて参加したくない。どうか誰かがやれば良いと思っている。
それは、変わる気がしないのと、変える必要性をあまり感じないのと、変えた方がいいと分かってはいても、それほど今の現状は悪くはないと判断したからだ。
ただ、この先本格的に世界が動いたら、日本はこのままいくと取り残されてしまうのだろうと言う事はわかった。
でもそれが分かったところで、何が変わるのだろうか?
あまり、衝撃的な事が起こった時に取り乱さない為に、世の中の事を無駄に考察して、びっくりして心臓が止まったり絶望して動けなくならない様に、考えている。
そしてそんな無駄な事を考えている今が、なによりも1番幸せだ。
戦争が起きたら仕事をサボって家に籠城すると決めている。
怖いから誰かそばにいてくれたら嬉しいし
逃げまくると思うし
必死に生きようとする。
けれどそれは何も戦争が起きるからじゃない。
今だって、出来るだけ楽に行きたいしストレスは溜めたくない。死にそうになるのは嫌だし、綺麗事や建前で自分が苦労するくらいなら、自分が思う様に生きれる事を優先して選択していく。
ただ、現実として
日本はまだ恵まれている。
分断が起きてる、淘汰が始まってる
と言うのは簡単だけど
それを声高々に言ってるのが当事者でなくあくまでも余裕のある手を差し伸べる側の人であるうちは、
本当に変わる事は無いと思う。
何故なら、歴史的にみて何かを変えることを成してきた革命やクーデターやテロというのは
今現在余裕ある人達の生活を脅かす因子だからだ。
だからそれなら、余裕ある人達が、あたかも本当に困っている余裕のない人たちに共感を示すかの様に振る舞い、手を差し伸べるアピールをして、本質的にはなんの助けにもならない手の差し伸べをした方が、
余裕ある側にとって、大変お得なシステムになっている。
だから
わざわざ不幸じゃない人が、日本は、我々は不幸だと思い込む必要性がないんだと思った。
本来なら、本当に余裕のある人が
本当に余裕のない人の事を助けるべきなんだと思う
しかし
その最上位の、つまり上級国民は手を差し伸べない
だからその中間層が一生懸命考える
しかし、一度に大量の人を助ける実行力も金もないもんだから
少しずつちまちまやるしか無くなっているとも言える。
それ故に、本当の意味で生活困窮者に行き届いた手の施しになってない。
なので大多数のまだ余裕のある人達の影に埋もれて、特定の貧困者、生活困窮者の声がかき消されて行き
革命を起こす気力も希望もないから
自殺する。
これがリョウマサヒロ僕自身の仮説だ。
余談
ここからは余談だけど
どっちかと言えば俺は、
本当に今大変な状況なのだと訴える人がいたとしたら、
それなのにも関わらず革命やクーデターやテロが起きないほどに希望が失われている事の方が問題だと俺は言いたい。
不幸ではないけど別段幸せでもないという微妙な雰囲気を良しとする方が、この状態では健全だとすら感じる。
見方を変えて、もし本当に何かを変えたいとしたら、俺だったら、こんな俺ですら革命に参加したくなるくらい、めちゃくちゃ最悪だ!と言う状況まで
いったん落ち切った方がむしろ本当に革命が起きて世の中良い方向向かうのではないかとは思った。
だからこそ、よーーーーく考えると
実は現状に、そんなに不満ないんじゃない?
ほんとーに不満?
その割にみんな動いてないよね。
と思うわけだ。
即席で何か意思表明を簡単にしただけで、何か動いた気になってる人はたくさん居るけど
俺はどちらかと言うと、その他大勢の中にいる事を受け入れることから始めた。
その方が自分個人的には、よっぽど説得力がある。
俺は特に世の中の為には何もしてないし、なんなら世の中良くしようなんてこれっぽっちも思って取り組んでいない。
(強いていえば核の一つくらいは持って欲しいけど、)
現状の日本に特に取り立てた不満も特にない。
ただただ自分の人生をよくすることだけ考えて生きている。
リョウマサヒロ