ドラッグ&ロックン・ロール

音楽活動報告、よく思考のまとめを行います

分断と闘争、あるいは革命と希望

ここ最近の限られた時間の中、具体的には通勤時間と休憩時間、そして寝る前の少しの時間以外では常にドラムの事かドラムの事かドラムの事を考えつつ、その実大半は仕事の事やビジネスの事や、働き方の事を考えている。

 

 

 

 

そんな限られた中でここ最近考えていたのは、

 

今日のタイトル、あるいはテーマ。

 

 

でも今日は久しぶりにブログを書く時間を作ってみたからめちゃくちゃ長いものを書こうと思っている。

 

なのでテーマに入る前に序文の様な物から入ろうと思う。

 

 

俺は薬剤師をやりながらバンドマンをやりつつ、ドラマーとしても仕事をしつつ、哲学的というか思想的と言うか考え事を文章しながら、人間という職業をやっている。

 

その歴を長い順に並べると

 

人間

哲学

バンドマン

薬剤師

ドラマー

 

こんな感じだ。

 

バンドマン歴18年を基準にすれば

 

人間歴32年

 

哲学を文章化歴26年

 

薬剤師歴8年

 

ドラマー歴4年

 

といったところ。

 

なんとなくコレで言いたい事が伝われば嬉しいけど、つまりドラムと同じくらい僕は考えた事を文章化したいし、文章化するために考えたい。

 

俺は、考え事をする無駄な時間が取れなくなるとストレスが溜まる。そんな中、昨今考える為にやっていた事は、とにかく人の議論を見る事。人の思想を聞く事、論理的思考を知る事。

 

この3つ。

 

薄利多売の人間という職業での共通の通貨は

 

お金ではなく時間だと思っている。

 

人生という長い時間、あるいは短い時間は必ず残りゼロになる事は今のところ決定していて、しかしあとその貯金がいくらあるのかが見えないという、真面目に考えるもとても恐ろしいルールを設定されたゲームの中にいる俺たちは、本当なら目標に向かって突っ走る事よりも、いかに無駄な時間を楽しく作るかを重要視した方が幸せになれると思っていて、そんな事を言うと日々一生懸命邁進してる人にそっぽを向かれそうだけど、コレは俺にとって真理に近い。

 

なぜかと言うと、自分に与えられた時間の残りがわからないからだ。

 

急にゼロに向かって行く事を実感する世の中が来た。そして、生命の循環が閉ざされた世界が来た。それがコロナ禍だったと思う。

 

俺にとって目標というのは、あくまでも目標が達成されるまで自分に時間が与えられてる物だと仮定して立てる物なんだけれども

 

それよりも人間の本質的な面白さって、そんなのやってなんの意味があるのか分からないけどずっと続けて、そしてなんの意味があったのかわからないまま終わって行く事に幸せを見出せる事だと思っている。

 

だから、無駄な時間というのをとても楽しむ事が何よりも最重要課題であり、生きる上でやらなければならい、つまり必要な事をやる時間をいかに楽に過ぎ去るかもまた大変必要な物だと思う。

 

夢でもいい。無理だとわかってても諦めきれない物という人もいる。

 

俺にとってはそういう希望みたいなものは、『無駄を楽しむ事』という自分的に超ポジティブな言葉に集約されている。

 

 

そういった意味で俺は何かを描き続けていたくて、考える事というのは他者や世の中を傍観さえ出来れば無限に出来る、いわゆる超コスパの良い『暇つぶし』である。

 

 

それが理由で、前日行った対談では、

 

※5時間にわたる対談、ぐーたんラジオvol.2

https://youtu.be/chKNCZHa09I

 

『もっと自分自身のためにやってると胸を張って言える人が増えたら嬉しい。俺にはそれがタブーかとでもいう様な雰囲気を感じている。』と叫んだ。

 

 

仕事は、ぶっちゃけどうでもいい。お金持ちにはなってみたい。しかしそんな事は二の次三の次。金はもう十分だ。ただ好奇心から、お金持ちの生活をしてみたい。

 

きっとお金持ちの生活は向いてる気はしてるけど、お金持ちになる才能があるのかどうかが不明で、だから知りたい。

 

理由は簡単で、お金持ちは色々な無駄な時間の楽しみ方を知ってるように思うからだ。

 

お金を稼ぐ事が目的ではなく、なんというか、面白い事をやるために人生を使ってる様に俺には見えていて、俺には見えない景色から世界を見ているんだろうと感じるからとても魅力的だ。そしたら考え事も捗りそうだ。

 

 

だから、俺は最近はいわゆる「成功者」と言われる人達の話してる内容をよく聴き、その人たちが考えてる事を聞いたり、質問に対してどう答えるかを知りたくて、またその思考回路を学びたくてウズウズしている。

 

そんな中で自分の中で一つ書けそうな考えがまとまったから今日はブログを書く。

 

 

テーマ:分断と闘争、あるいは革命と希望

 

 

 

世の中的には、数字と統計上ではコロナ禍は収束に向かっているように見える中で、その実数字というのはいつだって顕在的、つまり表面化している部分でしかなく、潜在的、つまり見えない部分では一体どうなのか分からない今。

 

 

コロナ禍では、事日本のことを言えば、貧困者の分断が起きたと、たくさん言われている。

 

 

 

 

話は変わって、世の中的に見れば

 

日本の日本人が言う分断は、大した事がないのではないかと今は考えている。

 

というか、分断でいえば、起こり始めている瞬間の様に思う。

 

大した事がないと言うのは、当事者目線ではなくあくまで起きてる事象を広く捉えたときの話だ。

 

例えば香港の様に、クーデターが起こったわけでもない。

 

暮らすのに苦しくて自殺をしそうになった人はたくさん居るらしいし、自殺した人もたくさん増えてはいるが

 

 

暮らせなくなって人を殺して家を奪う人が続出している国や、住む地域に食べるものがなくなり強盗致傷事件が自分の家の隣で起きてるような場所が世界中である事を考えると、まだまだ国的には裕福かつ恵まれて、しっかりやっている方だと思う。

 

 

 

というのも

 

最近少し歴史を勉強しているのだけれど

 

 

フランス革命しかり、明治維新しかり

 

 

本当に取り返しのつかない『分断』が起きている時には、いつだってそれを覆そうと革命やクーデターが起きている。

 

 

その背景には、覆せるかもしれないというある種の希望があって、自分の命をかけてでも動く人が大勢出てくるものだからだ。

 

日本での問題は今起き始めている分断そのものではなく、

 

 

分断を起こさせまいとのらりくらり、やんわり誤魔化していつの間にか俺たちが気づいた時には沼にハマる様な、隠蔽的な、作為的な、つまり自分自身が格差の中に閉じ込められている事に気づけない様に誘導する、大切な事実をはっきり述べず、具体性の欠けた夢だけ見させる系の政治そのものが問題だと思っている。

 

後は、国民性が革命やクーデターを起こさない理由なのかとも一瞬考えたのだけれど

 

 

むしろそうではなく、こういった閉鎖的な空間の中で俺たちは、何かを変えられるかもしれない希望を全く持てていないことが原因なんだと思い始めた。

 

 

だって選挙に行って何か変わる気がしたか?

 

そう言う話と似ている。

 

まったく変わる気がしないのだ。世の中が変わる事を、変わってくれる事を、あるいは変える事を諦めている雰囲気、これをめちゃくちゃ感じている。

 

 

けれどもコレは本当に真理だなと思っていて

 

1人の力でどうにもできない事なのだ。

 

だから同じ思想の人達と結託を起こして変えようとするか

 

閉鎖的に自分自身のやりたい様に生きるか

 

諦めるか

 

に分かれるのだと考えていて

 

 

そのうち革命を起こすにはそこに一つの希望がなければならないのではないかと歴史が教えてくれた。

 

 

調べてみて欲しい。

 

分断が起きたとき、排除される側は、排除してる側を、本当の意味で殺している。

 

 

その中で多くの血が流れている。これは、先にあげた二つの例だけとっても明確に記録されているけれど、平時であればまずありえない異常な事だ。

 

人がすぐ死ぬ、それが分かっていて、明日にかけて特攻する。

 

そこに未来ある若者が参加するのだ。

 

大変由々しき事態である。

 

でも、それがあったから今がある。明治維新もそうだ。日本でも起こっている現象、倒幕現象。つまり国民が幕府を本当に殺しにかかった時代。この時代での分断は、かなり酷い。僕のブログでは書きたくない虫唾が走るほどの胸糞の悪い分断と淘汰が起こり、人々は闘争した。

 

でも結果、近代化革命へとつながり、法制から身分制度、はたまた流通や産業、教育までもが変して、現代につながる国変が起こっている。

 

 

 

じゃあ今それをやる気がするか?本当に変えようと思うか?一応のらりくらいこのままで良いと思ってないか?自分の命をかけてまでそれやるか?自分の子供が暮らす未来に向けて今お父さんやお母さんをやってるあんたは死ねるのか?

 

 

 

俺は子供はいないが、当然答えはノーだ。

 

ぜっっっったいやりたくない。

 

 

と言う事は、少なからず、そこそこなんとか暮らせる人達にとって、自分が死んでまで変えたい内容というのが、ないのだ。

 

それもそのはずで、政治が、変えなくても大丈夫っぽく演出している。だって政治の役割は暮らしやすい国である事をアピールする事でもあるから、そりゃ、「この国やばいっす」なんて事大々的にアピールしないし、

 

俺たち国民だって、俺らの国やばいって言うのを受け入れるより、「ま、そうは言っても生きてるうちにはやばいことにならないっしょ」と思っていた方が楽なのだ。

 

 

それがどんなに本当にやばいらしくても、それを受け入れるメンタリティがない、その内にかなり色々な政策がうやむやになり中央の都合の良い方へ話が進んだっぽい。

 

そりゃそうだ、コロナ禍に、自分の家業が危ぶまれたこの時代に、自分の生活を脅かしてきたウィルスが何処にいるか分からない恐怖があったこの時代に、いちいち見ず知らずの人を含めた国全体の由々しき事態まで思考を走らせる事が出来た人がいったいどれくらいいただろうか?

 

そうやって思考は停止して行く。

 

 

俺は、そう言った経緯からでも、本当に本当に悲惨な国政だったならば、革命やテロ、クーデターは起きて当然だと思う。

 

 

でも起きなかったのは

 

一つは、俺の住んでる国の状況は、『分断』というテーマについては

 

まだ、そんなに悲惨ではない事。

 

 

その次に

 

何も変わる気がしない、つまり希望が見えてこない事

 

 

そして最後に、

 

実は存在する由々しき事態を国が隠している事。

 

 

これらは、このテーマを考える前に

 

公文書が指摘削除されてることや、税金の使い道の公開がされている様でその実記録されてない事

 

軍事力をつけて核を持たないと本当の意味で世界戦争になった時に真っ先に抹殺されるのにも関わらず、未だに核は反対、原発は反対、なんか怖いと言ってる人が多い事

 

 

などから、仮説を立てた。

 

 

日本はまだぬるま湯に浸かれるだけ余裕がある。

 

 

 

例えば

 

 

北朝鮮をみて欲しい

 

 

 

 

なんであんなにクソ小さい国が

 

好き放題やってる国が

 

 

めっちゃでかいアメリカや、世界人口No.1の中華人民共和国から

 

ミサイル1発すら攻撃されないのか

 

 

 

日本はこんなにアメリカに対して物を言えないのに

 

 

北朝鮮は余裕で、対等な立場に立って交渉してるのか。

 

 

 

それは

 

 

シンプルで

 

 

核を持ってるからだと分かった。

 

 

核は非常にまずい。そして、少し前にニュースになったが

 

 

日本を余裕で攻撃できるミサイルの稼働実験を行った。

 

 

なぜ日本なのか

 

 

アメリカだと火種になるけど

 

 

日本相手じゃまともな戦争にすらなずにボコれるからだ。

 

 

核を持ってる持ってない

 

 

これだけで

 

アメリカや中国と対等に話せるかどうかが変わる。

 

 

そう言った意味で、核反対、集団的自衛権反対、反対までいかなくてもなんか怖い、そんな事を大半が考えていふ日本人はほぼほぼ、平和ボケしてる。コレを狙ったのだとしたら、お国さんは日本人の教育に大成功している。

 

 

 

コレはあくまでも論調の一つで、一つの考え方に過ぎないけれど、多くの、成功者で日本の未来に目を向ける余裕のある人達が危惧してる内容を

 

俺目線で俺の言葉で書いた内容。

 

 

 

ただ、唯一

 

俺は思う。

 

 

俺自身はそんな事はどーーでも良い。

 

みんな死ぬならそりゃそれで良い。

 

 

ただ

 

自分1人だけが死ぬ事だけを恐れて生きている。

 

 

だから自分の人生にフォーカスしまくりたい。自分の為だけに生きていきたい。それが誰か人のためになればそれはオプションとして幸せだ。でも人の為に生きる事は残念ながらめちゃくちゃ二の次だ。ビジネスでないと出来ない。自分が死ぬくらいなら革命なんて参加したくない。どうか誰かがやれば良いと思っている。

 

 

それは、変わる気がしないのと、変える必要性をあまり感じないのと、変えた方がいいと分かってはいても、それほど今の現状は悪くはないと判断したからだ。

 

 

ただ、この先本格的に世界が動いたら、日本はこのままいくと取り残されてしまうのだろうと言う事はわかった。

 

 

でもそれが分かったところで、何が変わるのだろうか?

 

あまり、衝撃的な事が起こった時に取り乱さない為に、世の中の事を無駄に考察して、びっくりして心臓が止まったり絶望して動けなくならない様に、考えている。

 

 

そしてそんな無駄な事を考えている今が、なによりも1番幸せだ。

 

 

戦争が起きたら仕事をサボって家に籠城すると決めている。

 

怖いから誰かそばにいてくれたら嬉しいし

 

逃げまくると思うし

 

必死に生きようとする。

 

 

けれどそれは何も戦争が起きるからじゃない。

 

今だって、出来るだけ楽に行きたいしストレスは溜めたくない。死にそうになるのは嫌だし、綺麗事や建前で自分が苦労するくらいなら、自分が思う様に生きれる事を優先して選択していく。

 

 

 

ただ、現実として

 

 

日本はまだ恵まれている。

 

分断が起きてる、淘汰が始まってる

 

と言うのは簡単だけど

 

それを声高々に言ってるのが当事者でなくあくまでも余裕のある手を差し伸べる側の人であるうちは、

 

本当に変わる事は無いと思う。

 

 

何故なら、歴史的にみて何かを変えることを成してきた革命やクーデターやテロというのは

 

今現在余裕ある人達の生活を脅かす因子だからだ。

 

だからそれなら、余裕ある人達が、あたかも本当に困っている余裕のない人たちに共感を示すかの様に振る舞い、手を差し伸べるアピールをして、本質的にはなんの助けにもならない手の差し伸べをした方が、

 

 

余裕ある側にとって、大変お得なシステムになっている。

 

 

だから

 

 

わざわざ不幸じゃない人が、日本は、我々は不幸だと思い込む必要性がないんだと思った。

 

 

本来なら、本当に余裕のある人が

本当に余裕のない人の事を助けるべきなんだと思う

 

しかし

 

その最上位の、つまり上級国民は手を差し伸べない

 

だからその中間層が一生懸命考える

 

 

しかし、一度に大量の人を助ける実行力も金もないもんだから

 

 

少しずつちまちまやるしか無くなっているとも言える。

 

 

 

それ故に、本当の意味で生活困窮者に行き届いた手の施しになってない。

 

なので大多数のまだ余裕のある人達の影に埋もれて、特定の貧困者、生活困窮者の声がかき消されて行き

 

革命を起こす気力も希望もないから

 

 

自殺する。

 

 

 

これがリョウマサヒロ僕自身の仮説だ。

 

 

 

余談

 

 

ここからは余談だけど

 

どっちかと言えば俺は、

 

 

本当に今大変な状況なのだと訴える人がいたとしたら、

 

それなのにも関わらず革命やクーデターやテロが起きないほどに希望が失われている事の方が問題だと俺は言いたい。

 

不幸ではないけど別段幸せでもないという微妙な雰囲気を良しとする方が、この状態では健全だとすら感じる。

 

 

見方を変えて、もし本当に何かを変えたいとしたら、俺だったら、こんな俺ですら革命に参加したくなるくらい、めちゃくちゃ最悪だ!と言う状況まで

 

いったん落ち切った方がむしろ本当に革命が起きて世の中良い方向向かうのではないかとは思った。

 

だからこそ、よーーーーく考えると

 

 

実は現状に、そんなに不満ないんじゃない?

ほんとーに不満?

 

 

その割にみんな動いてないよね。

 

と思うわけだ。

 

即席で何か意思表明を簡単にしただけで、何か動いた気になってる人はたくさん居るけど

 

俺はどちらかと言うと、その他大勢の中にいる事を受け入れることから始めた。

 

その方が自分個人的には、よっぽど説得力がある。

 

俺は特に世の中の為には何もしてないし、なんなら世の中良くしようなんてこれっぽっちも思って取り組んでいない。

 

 

 

(強いていえば核の一つくらいは持って欲しいけど、)

現状の日本に特に取り立てた不満も特にない。

 

 

 

ただただ自分の人生をよくすることだけ考えて生きている。

 

リョウマサヒロ

 

 

 

 

 

孤独の撃墜王 vol.2

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日付変わって昨日

 

初めて新宿ACBというライブハウスでライブをしてきた。

 

その日を作り上げてくれた企画者は

zan80z(ザンエイティーズィー)

 

 

毎回思うけど、Vo.の吉田さんには頭が上がらない。

 

 

久しぶりの自身のバンドでのライブなのにも関わらず、本気で全バンド聴きごたえのあるライブだった事にまず、最大限のリスペクトと感謝を全バンドに贈ります。

 

 

 

この日感じた事を記録したくなったので、文章で残しておきたいと思う。

 

出演者順に。

 

 

1.Lana(ラナ)

 

実はLanaは4〜5年前に2度見た事がある。

 

1度目は、当時のShinobu Motoori Groupのアー写を撮ってくれた中谷氏に誘われて、当時の恋人と一緒に初めて見に行ったライブでもあった。吉祥寺WARPに観に行った。

 

2度目はテキーラパーティーエフェクトという、コレまた懐かしいバンドと、anoというバンドを見に行った時だ。

 

あの時とはだいぶメンバーが変わっていた。

 

そして、超絶進化していた。数年で、こうもバンドは変わるのかとリハーサルを見た瞬間から驚いた。

 

余談だけれど、今のLanaのドラマー岡田くんは、同門生でもある。

 

しかしそんな色眼鏡で俺はライブを見ない。見てつまらなかったら楽屋にでも篭ろうかと思っていたけれど、

 

なんのことはない、控えめに言ってもめちゃくちゃ良かった。

 

Vo.の方の歌が素晴らしかった。そしてそのエモーションにドラムががっちり付いていく。

 

 

いや、逆かもしれない

 

あのエモーションはドラマーが、そしてそこにがっちりついて行きつつブレない歌を歌っているボーカルなのかもしれない

 

しかしそんな事はどっちでもどうでも良いことだ、とにかく

 

サイドのベースとギターもそれぞれ個性があり、4ピースたる歌の突き抜けるライブを久しぶりに堪能できた気がする。

 

この日、客としてみれたライブの中では、歌のMVPは彼だ。本当に素晴らしい歌をありがとう。

 

 

2.Shinobu Motoori Group(シノブモトーリグループ)

 

俺のバンドだ。ここは自分で書くのはなんだか変な感じがする。

 

しかし書いていく。少し長くなりそうだ。

 

俺たちは

 

3ピースでのライブ編成で、やっとここまで来れたかと実感が湧くライブができた。

 

2ピース時代に感じていた没入感があり、2ピースでは再現なし得なかったアンサンブルに、片腕が届いた。

 

これからが本当に楽しみになってきた。

 

 

自分のバンドの事なので、もう少しだけ。

 

ライブハウスでのライブは本当に久しぶりだったのだけれども

 

うちのリーダー、シノブモトーリ曰く

 

ちゃんと上りを頂けたらしい。

 

数字は敢えて聞いてはいない。それは今はどうでもよかった。それよりも、このご時世で尚、バンドで稼げる事に感動したと同時に、お客さんにとても感謝した。

 

そして、なによりzan80zには頭が上がらない。(ここは細かくは書くまい、おそらくそう言う事だと思う。)

 

 

どうしてもお金のかかるバンド活動をする中で、大人になると嫌でもマネタイズの事が頭をよぎってしまう。とくにこのコロナ禍ではありとあらゆる所に傷を負った人は俺だけじゃ無いと思う。本当は、自分らの自分勝手な自分達のための演奏に価値があるのかどうか、常に批判的吟味が付き纏うのがバンドマンだと思うけれど、こういう事で、少し救われるものだ。

 

これも、「バンドマンにしか見えない、景色」の1つだろう。

 

そして何より目の前にいる人の顔をステージから見る事で確信する。続ける覚悟をし直せるってもんだ。

 

長くなった、次に行こう。

 

 

3.badactor(バッドアクター)

 

端的に言おう

 

 

マジでGOOD ACTだった。

 

驚いた。これぞライブハウスでしか出会えないバンドだった。いくら音源を探しても、この手のバンドに日本で生で会える機会はそうそうない。

 

俺もまがいなりに18年間ライブハウスに出入りしているけど、本当に稀だ。まるで媚びてない。1ミリも媚びてないのに、無限大に俺たちに優しい音楽。

 

申し訳ない。ブログに書いていてこんな事を言うのは本当におかしいのだけれど、

 

言葉ではうまく言えない、整理整頓の出来てない感情が俺の中にある。

 

そんな気持ちを思い出させてくれたbadactor

 

ありがとう、観れて本当に良かった。

 

 

4.Maxn(マクスン)

 

俺個人的に、badactorに対するアンサーがこのMaxnだった。

 

3年前、Shinobu Motoori Group(以下、SMG)のツアー

 

紫雲英蒔くツアーの山梨編 カズーホールで対バンしたバンドだ。

 

このバンドもLanaと同じく、出会った時からかなりメンバーが変わっていた。そしてグレードアップしていた。

 

Maxnのライブは、というより音楽性は、久しぶりに分析したくなるタイプの音楽だった。

 

おそらくだけど、かなり計算されて整った汚さのあるライブだった。

 

それこそ、ある種今回のラインナップの中では最も商業的かつ、一方で商業音楽の中では最もニッチ。

 

あり得ないジャンルとジャンルの融合とでも言おうか。

 

 

曲のタイム感や、ドラム、ベース、サイドギターの演奏はかなり計算された物で、曲にマストの物を意図してやっていたように思う。

 

もしMaxnの人がコレを観ていて、間違ってたらすんません。

 

 

しかしだ、それが物凄く秀逸で、素晴らしかった。

 

分かっててやってるあの感じ。とりわけ意図して変化球を投げるグルーヴを追求するSMGとは真逆のアプローチ。

 

そしてbadactorの様なエモーションに振り切ったライブとも良いコントラストで、流石に頷くしかなかった。

 

 

俺は多分、日頃から耳元で聴くとしたらMaxnだと思う。おそらく、めちゃくちゃ高クオリティの音源をだしてくれそうな期待をできるインテリヤンキーみたいなバンド。

 

そう、インテリヤンキーだ。

 

おそらくだけど、全てドラムの方が仕掛けてる。

 

少しだけお話させてもらったけど、仕事で叩いてる時の俺と思考回路がかなり似てる。

 

お見事でした。

 

 

5.zan80z(ザン"エイティー"ズィー)

 

はあぁあああああ素晴らしい!

 

 

もう文句なし。最高!

 

この日のバンドMVP

 

ただ、

 

 

一つ文句があるとすれば、ギターの方の酒井さんには、ロマンシングサガと言って欲しかったくらいだ。(わかる人にはわかるネタで申し訳ない)

 

この日のズィーの皆さんは、何というか、王者の風格があった。

 

流石は孤独の撃墜王

 

タイトルの伏線を演奏で回収するとは。

 

 

 

 

俺は観たんだ。

 

俺はかなり前の方のど真ん中で観ていたのだが、斜め前のお客さんが、吉田さんの歌い出し開始3秒で号泣していた。

 

 

流石にコレには俺もウルっと来た。

 

 

『わかる。そうだよな。待ってたよな。俺も待ってた。』

 

 

そう心から思った。

 

 

本当に良いライブを観ると、全てがどうでもよくなり、俺は踊ってしまうし拳をあげてしまう。

 

 

 

 

そんなライブだ。

 

本当なら

 

今年の7/30にこのライブイベントは行われていたはずなんだ。

 

 

しかし

 

 

コロナ禍で延期になり

 

 

一時は開催も危ぶまれた。

 

 

しかしその延期の甲斐あって

 

 

この数ヶ月間でさらに磨きをかけたライブを

 

全てのバンドがしていたんじゃなかろうか

 

 

お前ブランクあるだろってバンドは一つもなく、微塵も不安を感じさせないプレイヤーの集まりだったと思う。

 

 

 

 

 

俺たちは、この為に耐えて来た。

 

 

 

やっぱり生ライブが良い。

 

 

 

それを確信させてくれて、ありがとう全てのバンド

 

 

今日はあまり眠りたくない。ずっと考えていたい。

 

 

リョウマサヒロ

 

祖母と、表現者と、社会通念

 

今日は僕の祖母について書こうと思う。

 

ついこの間、僕の祖母は満90歳を迎えた。

 

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この年齢にして、未だに絵を描いて自力で生活している生粋のアーティスト

 

 

僕が世界中のアーティストを思い浮かべて、最も尊敬する人は誰かと聞かれた時に必ず答える、最大のリスペクトを持っている芸術家。

 

 

彼女と僕は、僕が幼い頃からよく遊んだ。

 

僕が物心つく前から、祖母の家にはたくさんの画材道具と絵画があり、油絵具の匂いがする家が当たり前だった。

 

しかし、彼女は僕が子供の頃、絵を描く姿を見せてくれた事は一度もなかった。

 

「昔おばあちゃんが描いた絵だよ」

 

と見せてくれていたから、小さい頃の僕は、絵が上手なおばあちゃんだと、思っていた。

 

 

その頃から、あなたは良い芸術家になるよ。頭がいい。目も鋭い。たくさん考えて、疑問を持ちなさいと教わってきた。

 

僕はよく祖母に、大人になったら僕は絵を描くの?と聞いた。

 

すると祖母はこう返した。

 

描かなくても良いのよ。人はみんな何かを表現しているの。芸術家はなろうと思ってなるものではないのよ。

 

 

そう教えてくれていた事を今でもよく思い出す。

 

 

 

 

僕の祖母は、結婚して子供を産んだ事を機に、絵をやめていた。

 

およそ30年間。子供達が独り立ちするまで、筆を置いていた。

 

それは僕が大人になってから聞いた話だった。

 

 

それからまた筆を取り、台湾に帰り、売れた。

今では台湾の絵画史に名前を連ねる人になってしまい、現首相(台湾初の女性首相)から、同じ女性として素晴らしい功績を残した貴女に、是非私の肖像画を書いて欲しいと依頼されれば

 

「良い政治をしたら書いてやる」

 

と突っぱねるくらいにパンクス。

 

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コレはもう昔の写真だ。

 

この話を聞いた時僕は涙が出た。なんでこんなにかっこいいんだろうと思った。

 

 

実は、彼女は筆を30年間置いていた理由があった。

 

それは祖父だった。祖父も聡明な人だったが、いつも彼女を台湾語でなじっていた。僕は台湾語が分からないから、何を言われていたのかは知らない。けれど、祖父は、自分より有名になりそうな彼女に常に腹を立てていた様に思う。だから、彼女が筆を取ると怒られていたという。

 

彼女は懸命に母親として働いたそうだ。

 

そして子供達が巣立った後、また芸術家としての彼女に戻った。

 

祖父の生前、孫の中で1番仲が良かった僕は、祖母から祖父の愚痴をたくさん聞いた。

 

 

そんな彼女は今、祖父の形見をいつも胸につけて、

 

「こうするとおじいさんが守ってくれるの。まだ一緒に生きているの。」と愛おしそうに僕に話すのだ。

 

 

僕には、まるで意味がわからないようで、なんとなく、最近は少しわかる気がする。

 

 

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彼女の絵は、ジャンルで言えば抽象画だ。

しかし彼女の表現方法は他の抽象画とは違う。

 

彼女の中ではコレは写実された絵なのだ。

 

 

彼女は、絵では別のものを描きながら、根本にある生活をしていて見て感じた物を正確に描いている。

 

 

だから絵から見えるものとタイトルが、時々歪である。

 

(今回は敢えてタイトルは伏せておこうと思う)

 

 

 

僕が彼女から学んだことの多くは愛や生活感、そして表現者としての生き方だ。

 

 

僕は、表現というのは己が感じた事や、人間としての苦悩や気づきを形にするものであって、消して人にメッセージとして伝えるものではないと思っている。

 

メッセージの様に見えるかどうかでなく、メッセージを伝えたいという意識が自分の中にあってはいけない、そう考えている。

 

彼女は、伝えようとせず、意思表明を明確に映し出せば、必要な人に必ず伝わるとよく言っていた。

 

だから人からは抽象画に見えるくらいが丁度良いと言った。

 

しかし彼女自身は、抽象画を描いてるつもりはないと話した。

 

 

そして彼女は、創作過程で起きた予期せぬ出来事をそのまま利用している

 

偶然の失敗を、そのまま活かす。

 

思い通りにはいかない

 

だがそれが良い

 

たまたま跳ねてくっついた余計な色をそのまま使う

 

 

それが人生だと言う様に。

 

 

 

彼女はよく、人様の事はどうでも良い、自分はこうありたい。そう口にする。段々と歳を取り、少し性格が変わってきた様に思える昨今の彼女は、パンクス感が増した。最近は、それはおかしいこうした方がいいとよく人に言っている。笑

 

 

 

昔はとても優しいおばあちゃんだったが、それは母親という仮面を被った彼女だったのかもしれない。

 

母親を演じるために、愚痴を吐いていた。

けれども本当の彼女は、祖父を心底愛していた。

 

 

少し僕の話に移すと

 

 

 

僕は、「僕はこう考えている。」という事を常に周りに表現して生きている。

 

でも、僕の表現した事が誰かへのメッセージになるのを恐れている。

 

何故そう思うのか

 

どうしてそういう結論に至ったのか

 

何故それをするのか

 

その全てに理由を見出し、過程を明確にして、文章にする

 

音楽にする

 

叩く姿で表現する

 

 

人間はこうあるべきだと言うのは、ない

 

ないから、僕はこうすべきだと思うが、ある。

 

こうあってくれたら嬉しい、もある。

 

 

祖母に学んだ事を僕はやり続ける。それが、彼女の死後の1番の弔いになると確信している。

 

守破離で言えば、僕は

 

教えを守っている。

 

 

昨今、インターネットが普及して、目の前の人ではなく、不特定多数に向けて語りかける事ができるようになってしまった。

 

 

長らく時間がかかったが、やっと慣れてきた。

 

このシステムは、僕や祖母の生き方からすると、かなり面倒だ。

 

 

何故なら、何を表現しても、何かしらのメッセージになってしまう。

 

けれども、僕は過程で得た物事や考えてる事を、形として表現しているに過ぎない。

 

 

表現者は明確なメッセージを与えてはいけない。

 

 

僕が描くものは、僕の中の事であって、描いてる内容には大した意味がない。

 

 

一度、コロナ禍で書いたブログが、バズってしまった事があった。

 

 

コレが、僕が犯した失敗だった。

 

あれはメッセージになっていた。

 

最悪だった。本当に失敗したと思った。

 

メッセージが強すぎると、あらぬ方向へ伝わってしまう。

 

僕はあくまでも自分を偽りなく表現できる場所が欲しいだけ

 

祖母がそうだった様に。

 

しかし祖母は、自分を偽った30年間を過ごしていた。

 

この意味は一体なんなのか。

 

 

 

祖母はよく僕に言った。

 

 

あんたは良い芸術家になるよと。

 

正直もう辞めたいと何度も思った。しかし、祖母の意思を強く受け継げるのは、おそらく僕しか居ない。

 

 

そろそろ、破っても良いだろうか。

 

 

守破離とは何なのだろう。

 

 

人を大切に思うこととは、一体なんなのだろうか。

 

何かを見落としている気がする。

 

何かを。

 

 

 

偉大なる祖母へ 感謝を込めて

 

 

時間と距離の概念と、想像

今日は定例会のぐーたん会だった。

 

その時に話していたことを振り返り、久しぶりに自分の脳味噌の中を光が駆け巡る感覚が降りてきたのでそれをまとめている。

 

 

 

かの有名なアインシュタインは、時間は絶対的に等しく与えられた物ではないと説いている。

 

 

サイエンスライターであるサイモン・シンによれば、彼の特殊相対性理論をこう分かりやすく解いている。

 

 

アインシュタイン特殊相対性理論から導かれるもっとも驚くべき結論のひとつは、時間という慣れ親しんだ概念は、根本的に間違っているということだ。時間は絶対的に規則正しく、いつでもどこでも誰にとっても同じだと考えられていた。これに対してアインシュタインは「ノー」と言った。時間は伸びたり縮んだりし、人それぞれにとって流れ方が異なり、あなたの時間と私の時間は違う』サイモン・シン

 

 

僕は何も、時間と距離の概念について小難しい物理学的な話をしたいわけではなく、あくまでもニュアンスの話をしたい。

 

 

僕には目標や、近づきたい理想がある。

 

それは少なくとも20代の頃には朧げに遠くに見えていた物で、10代の頃には何となく勝手に、自分はそうなると思っていた物で、10歳未満の子供の頃は想像もしていなかった物。

 

 

例えば、概念的な距離として、10年前に掲げた目標があるとして、そこまでの距離を漠然と頭の中で測ってみる。その目標地点までは当然、辿り着けると思っているわけなので、目標、あるいは理想として掲げている。

 

 

そして10年後、自分はまだ同じ位置にいるとしたら、果たして10年前と同じように目標として掲げ続けられるだろうか?

 

といった自問の答えについてをまとめているのだけれど

 

 

僕の中でこの"10年経った"というのは、大きな条件変化のように思える。

 

 

 

例えばものが一定の速度で動いていたとすれば

 

当然、時間が経てば元の場所から動いているし

 

ある程度動いていればそれなりに時間が経っている

 

時間と距離というのはそういうものだと思う。

 

 

そしてそれは何も生き物や機械だけでなく

 

掲げた目標というものも一定の速度で動いていると思う。

 

それは、自分の中での意識の話だけれど

 

 

10年前と10年後で漠然と同じ目標を掲げていたとしても、その内容や求める物事のクオリティは変わってきていると思う。

 

それは周りを見たり経験をしたりしながら、同じだと思っていた目標も、10年間を比較すればやはり少しずつ変わっているという事だ。

 

 

 

 

 

しかし自分自身はどうだろうか?

 

例えば毎日生きていく中で、やはり人は少しずつ目標に向かって歩くものだと思う。

 

どんなに遠くても、吉祥寺から新宿までは歩いていれば辿り着ける。

 

そのようにして道さえ知っていればどんなに時間がかかっても死にさえしなければ辿り着ける事を僕達は知っている。

 

 

それと同じように

 

 

目標を掲げたり、理想論をかかげていて

 

そこにたどり着く道筋さえ知っていれば、あとはやるだけで少しずつ進むはず。

 

 

でももし

 

道がわからなかったら

 

自分自身は10年間同じことを続けて同じ場所にいまだに経っていると感じたら。

 

 

どうだろうか。

 

10年前と同じ距離、10年後の自分はあの時と同じように、そこに行きたい!と言えるのだろうか。

 

吉祥寺と新宿の場所は変わらない。けれども生きている中で無意識下で、目標や理想は変わっていく。

 

 

もし、目標や理想ばかりが大きくなり、自分は同じ場所にいると感じてしまったら

 

相対的には、後退して見えるのではないだろうか。

 

そんなの、悲しすぎる。虚しくなる。何かを諦めてしまう人の心理はきっとこういう事なのだろうと想像した。

 

 

もし

 

目標や理想が当時掲げたままでなく、ある種無理だなと感じて、少し小さなものへと、無意識下で変わっていったとしたらどうだろう。

 

1日1日の変化は微々たるものでも

 

 

10年間という時間はとても大きい。日々の変化には気づけないけれど、10年を比較したら一目瞭然の変化な気がしてならない。

 

これが、いつしか妥協してしまった人の気持ちなのだろうと想像した。

 

物事には順序があり、その順序にこそ目を向ける人はとても多いし、僕もその1人だけれどと、それ以上に、その物事自体が変化している事にも目を向けなければならないと感じた。

 

 

僕は音楽を始めて18年になる。

 

 

どんぶり勘定で、10年

 

音楽を始めた頃、10年後には僕は何かのバンドでメジャーデビューしてると思っていた。

 

というか、メジャーデビューという言葉も知らなかったから

 

 

売れてるだろう

 

 

などと、どんぶり勘定した。

 

 

このように、視認した距離感が全く実際のものとは異なっていて、10年で辿り着けると思っていた距離が、18年経ってもたどり着けていないと知った時、かなり愕然とした。

 

 

やればやるほど、進むスピードを理解すればするほど、愕然とする。

 

 

距離の目算も違ってれば、やるスピードも誤ったのかもしれない

 

しかし、音楽を始めた18年前からすると

 

僕はずいぶんと前に進んだと思う。

 

 

逆に言えば、進んでしまっているから、今更振り出しには戻れない。戻るのにだってまた時間がかかる。

 

だったら前に進む以外に方法はない。

 

 

これが、僕のように諦めきれない人の気持ちなんだと想像した。

 

 

 

 

時間をいくらかけても、その距離必ず進むとは限らない。

 

それに、僕が感じた18年間は、かなり長かった。一昔前に、こんな様にドラムを叩ける様になったらいいな。そしたら売れるんだろうな。と思っていたスキルは身に付いた。とてもじゃないけど人様に聴かせられるような演奏じゃなかったあの頃、必死に想像していたドラムはいつの間にか叩ける様になっていた。

 

でもこんなに時間がかかるとは思ってなかった。

 

バンドの中で叩いてる僕の姿は、間違いなく目標に近付いている。昔はこんな風に叩けやしなかった。

 

 

 

けれどできる様になった結果、

 

 

こんなの大した事なかった。

 

 

きっと他にも大切な事があるんだと思う。

 

 

でも、18年間かければある程度辿り着ける事を知った。

 

 

もうちょっとスピードを上げる方法もたくさん知った。

 

 

だから、時間と距離だけでなく、加速度という概念がある。

 

 

 

ポジティブな内容として終わらせたいから、普段は言えない事を敢えて書くとしたら

 

 

この今のスピード感は、この先の10年をさらに加速させてくれるはず。

 

 

 

 

 

【祝】歳を取りました。反省します

今年、僕は32歳になりました。

 

先に書くと、32歳の僕の目標は

 

「仕事の基礎の基を押さえること」

 

 

 

どうも皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんわ。

 

毎年、年始や誕生日に、個人の抱負をよくブログに書きます。リョウマサヒロです。

 

 

30歳になった2年前の9月は

 

30代は楽しいよと教えてくれた諸先輩方を思い出しながら

 

薬剤師とドラム、どちらもプロになるという目標を掲げました。

 

 

 

 

その翌年2020年初めは

 

ドラムの初心を振り返りました。

 

 

 

 

去年2021年9月には

イケオジになりたい!という抱負をさらに強くしました。

 

 

今年、2021年の年始には

 

公の場で初めて政治的な話を考えて、コロナ禍を振り返り、今後どう選択していくかを考えました。

 

 

 

 

今年2021年9月

 

 

僕は何を思うのかと自分に期待していましたが、あろうことか、初めは、今の段階では何も思いつきませんでした。

 

なので、具体的に考えてみることにしました。

 

 

 

 

自分のプロへの憧れ

初心

歳の取り方

生きる上での選択の仕方や政治の話

 

振り返ってみると、一応、30歳になった時に立てた目標には少しずつ向き合ってる気がします。

 

それと同時に、思った様に上手くは行かなかった気もします。

 

これらを僕は、具体性が欠けていた、と反省しています。

 

仕事面でいえば

 

薬剤師の方は割とかなり躍進した年になったと思います。

 

それと同時にまた一から一つずつ学ばなければならないフェーズに来たと思っています。

 

僕は今とある小さな会社で、超かっこよく言えばCOOをやっています。

これは、僕の人生設計にはまるで組み込まれていなかった、ある意味超ラッキーチャンスみたいな物でした。

当初、半分ニートみたいな所から初めて、20代後半を過ごし

 

色々な人から、その生き方良いなぁと言われつつ、知らない人からは、ニートみたいなことしてっからダメなんだよと反感を買いました。

 

その間に培った物というのを、僕には、たまたま、深く評価していただける人が居たので今に至ります。

 

いなかったらおそらく、今でもただパートタイムとして働き、お金がない!と叫んでいたと思います。なのでこれは稀有な例です。

 

ただニートに毛が生えた様な生き方をしていた訳ではなかったのだけれど、人様からは仕事をしてない人に見えてた時代が僕にはあります。

 

あまり人に話していない部分の僕の歴史です。

 

そんなこんなあり、

 

今に至るまでの下準備を僕なりにやっていたわけでした。

 

しかしそれも、たまたまそれを見抜いてくれる人がいたから上手く行った様な物です。

 

今、小さいながら従業員を持つ様になりましたが

 

実際のところ、僕自身がそれだけの事をやる人間かと問われれば

 

自分ではあんまり、まだまだ適任だとは思っていません。

 

でも、やると言ったので、やるしかないのが実際問題な訳です。

 

 

 

今年

 

 

人生で初めて、100万単位でお金が動く、面接というのをやりました。

 

 

相手の実力が紙っぺらと会話でしか計れない

 

 

まさに1回100万円ガチャ。

 

 

会社の金を使う単位としては、おそらく小さな額ではありませんが、そんなに大きな額でも無いと思います。

 

 

しかし、僕からしたら大金です。

 

 

それで失敗したら、選んだ僕のせいです。

 

 

 

そんな大金を動かすのも、実際には社長が別で居るので、出資は僕じゃありません

 

 

なので、

 

 

「他人の金だから、まぁ、いーや」

 

と、ある種開き直って人を選んだ僕です。

 

そんくらいにはかなり適当なので、変なプレッシャーは感じずに

 

冷静に仕事ができました。結果、良かったと思います。

 

 

見事に素晴らしい方を選ぶことができました。

 

 

 

仕事面の音楽の話で言えば

 

 

打って変わって、

 

僕は使って頂く側です。

 

 

そこで気付いたのは

 

今の僕は分相応だという事です。

 

自分が実際、人を雇う側に立つことが出来たので、今自分に足りない物がとても明確に分かりました。

 

 

今僕に仕事を振ってくれる人と言うのは、僕がとても信頼してる人でもあります。

 

絶対に変な様にはしないと、僕は確信し

 

お相手もこの人ならきっちりやってくれると信じてくれています。

 

それは昔からお互いを知っているからです。

 

 

僕が、何を得意として何を考えてドラムを叩いているのかを良く知っていて、それを欲してくれてるからです。

 

 

 

仕事の量は確かに少し増えました。

 

 

しかし、

 

(少しビジネス的な話で言えば)

 

新しいクライアントさんからのお仕事は、

 

その人達からの口コミで広がっています。

 

 

裏を返せば

 

完全に新しい所からの仕事の発注は

 

"一切来ていない"

 

 

これは、

 

僕に、

 

・全くと言って良いほどまとまった商材がない

 

・実力以前に業界で当たり前である事が整っていない

 

コレに尽きると思います。

 

 

・譜面が読める

・イヤモニを持っている

・ドラムセットを持っている

・譜面が書ける

・領収書を電子媒体で発行できる

・レコーディング環境が整っている

・業界人としての立ち振る舞い

・その業界で使う名刺がない

・他にもたくさん僕がまだ知らない事

 

コレらが整っていません。

 

口コミで仕事が広がる時は、それらがなくてもそこに価値があれば仕事が来ますが

 

 

全く誰だかよく知らないけど実力で選ぼうと思った時は

 

実力以前にそれらが整ってなくて仕事が来ないことの方が大きいです。

 

 

そしてプロの方々のスキルはとてもじゃないけど計り知れないと言うことも学びました。

 

 

 

僕も、得意なジャンルなら負けない自信はあります。

 

しかし、プロというのはそういう物じゃありませんよ。と、言うのを僕は学ぶ事ができました。

 

薬剤師が

 

皮膚科なら負けないけど他は自信ない

 

 

 

なんて言ってたら話にならないのと同じです。

 

 

僕が仕事を振る時

 

いくら実力があったとしても、基本の基が揃ってない人に仕事を振るなら

 

 

基本の基が揃ってる実力者に仕事を振ると思います。

 

 

ただ、もし仮に、偏った技術を欲してる時は、それらが整ってなくても、それを得意とする人を雇うかもしれない。

 

 

なので32歳の僕が思う目標は

 

 

 

まずは

仕事における基本の基を押さえること

 

 

にしようと思います。

 

 

 

 

 

 

ここまで長い、極私的な文章を読んでくださってありがとうございました。

 

ここから先は、ちょっとしたおまけです

 

コレから何らかの仕事を本気でやりたいと思ってる人に向けて、

 

 

超ビジネス目線で

 

 

ビジネスマンになりたてで僕が目からウロコだった話をしようと思います。

 

僕の周りには、実は音楽のプロになりたい人がたくさん居ると思うので、薬剤師としてだけでなく、会社の役員としての僕から一つアドバイスです。

 

 

 

 

まず、名刺を作ってください。

 

僕は今、企業の方々からオファーを受けて、新しい店舗を作る時のアドバイザーの仕事もしています。

 

それは全て、会話と、名刺交換で仕事がつながっています。

 

 

名刺には役職、もしくはできる事を明確に書いておくと良いです。

 

 

僕の名刺には

 

 

薬剤師

 

とだけ書かれてる訳じゃありません

 

 

会社での役職や

 

持っている認定資格

 

その全部が書いてあります。

 

 

ビジネスの場合

 

会話と、名刺の情報

 

それら全てから、人は相手を半分以上判断します。

 

 

 

それから、自分には出来ない部分を補える人と、チームを作ってください

 

 

僕は、店舗展開のアドバイザーの仕事をする時、必ずその道のプロ、あるいはかなり情報を持った人とタッグを組み仕事をします。

 

 

ドラマーで言えば

 

レコーディング環境は整ってなくても、自分のドラムプレイをよく知った人や、レコーディングエンジニアを1人か2人紹介できないといけないと思います。

 

 

コレらはどの業界でもおそらく、当たり前の事です。

 

 

実際その人達が仕事に関わらない場合も多いし

 

先方が既にそう言う方をチームに入れてることも、とても多いですが

 

 

もし、チームに欠けた人がいて、その人も補えるコネクションがあれば、

 

それだけで仕事を頂けることも実際にはたくさんあります。

 

 

 

 

そうして仕事をした人とコネクションを重ねていくと、いつだか、色々な話が来る様になるのです。

 

 

これは、僕をヘッドハントして下さったオーナーから教わった事です。

 

 

 

 

ちなみに、どうやってチームを作るかと言うと

 

 

なにも、チーム組みませんか?

 

 

と言うわけではありません。

 

 

 

何をするかと言うと

 

 

とにかくそのチームを組みたい人に仕事をお願いし、無理難題を聞いてもらう代わりに、あちらの無理難題も聞きまくる

 

 

これだけです。

 

 

良いビジネス関係にある人は、

 

仕事での恩を、必ず仕事で返してくれます。

 

 

 

そうして信頼関係ができれば、新しい仕事が自分に来た時に、必ず助けてくれます。

 

 

おそらく、僕からは見えない音楽のプロの方々は、これらを当たり前の様にやってると思います。

 

 

医療現場では

 

 

 

医療だからビジネス目線を忌み嫌う人もいますが、実際問題、仕事として成り立たないと継続できず、結果患者さんに迷惑をかけることになります。

 

医療現場は

 

ビジネスの先に、やりがいのある仕事が待っています。

 

 

 

音楽も、おそらく同じなのではないかと思います。

 

 

 

 

しかし、

 

 

いくら実力があったとしても、戦えない理由が、僕は僕自身に向けて、まだまだあると思っていて

 

 

もちろん実力も足らない部分がたくさんありますが

 

 

その実力は、仕事で磨く物だと教わりました。

 

 

いくら練習しても

 

本番で培う経験値とは比較にならないし、求められるスキルやテクニックも、練習と本番ではまるで違います。

 

薬剤師で言えば、どんなに机に向かって勉強した内容が優れていても

 

それを使った経験がなければ話にならないのです。

 

事前準備と、練習

 

とにかく仕事を取ってくる準備を怠らない方が、良いのかなと、自分にも言い聞かせて終わろうと思います。

 

 

リョウマサヒロ

 

 

 

 

 

 

本日のローライト

 

地下の密室で、久しぶりに先輩に会い

 

遊びの延長戦、放課後の続きのような時間を過ごした。

 

密室、といっても空調は快適で、変わったことと言えば、必要以上にマスクを外さない、距離はソーシャルディスタンスディスタンスくらい空けて、楽器で遊んだこと。

 

 

その後は恒例、なんてたいそうなモノじゃないけど、まあ、いつも通り。茶でもしばきますかっていう事で、人が少なくなったこの場所で、言葉を交わす。

 

 

 

茶をしばきに行きたいところだけれどもコーラを2人で飲むあたり、お店に入るのもなんだかね、な雰囲気だったのだろうか。はたまた地下のこのスタジオの居心地が良すぎたのか。

 

 

話はほどほどにして楽器をさわれよ、という事を昔から教えてくれてたこの先輩とは、何故か今となっては物凄く話が弾む。

 

僕がこのところ仕事にあっけに取られて見切れてなかった周りの近況をたくさん聴いたり、僕がまだ行った事のないステージにいる人達の話を聞かせてもらって、凄く学ばせて頂いた。

 

 

この手の話はいっっっつも僕がせがんで聴いてしまう話。

 

でも今と昔で違うのは、あの頃は、へー凄いなぁ、良いなあ!と目をキラキラさせて(実際はしてないかもしれないけど)聞いていた所が

 

 

なんだか少し話が分かるようになって来たこと。

 

 

今日は先輩とのスタジオと、自分のバンドとのスタジオの2つがあった。

 

スタジオの先輩との遊びは、ウォーミングアップのつもりで、と話していたけど、むしろメンタリティのウォーミングアップは会話の方でたくさんのモノを頂きました。

 

ありがとうございます。

 

 

お陰様で、今日のスタジオの演奏は、気合が2割くらい増した気がする。

 

集中力が高い人と会うと

 

自然と自分も集中力があがるこの感覚。

 

 

凄く好き。

 

 

 

 

 

今まで精神論と呼ぶしかなかったことが、自分の中で習慣と理論になりつつある昨今

 

 

悩む事も増えて、悩む時間は無くなっていく昨今

 

 

やはり、捨てるに捨てれない未来の話と

 

 

本当はいつだって捨ててしまえる過去の意固地と

 

 

残ったのは積み重ねてきた時間のみ

 

 

そんな物を肌で感じる時間は

 

 

やっぱり地上にはあんまり見当たらず。

 

 

この、

 

あるべくして当たり前だと思っていた、今や危ぶまれつつある、

 

"地下室からの挑戦状"がいつ叩き付けられるのか

 

 

万全の準備で待つ事にした、今日です。

 

 

 

 

 

ちなみに、ローライトというのは、ハイライトの対義語で

 

取るに足らないようなこと

 

を指した言葉だそうです。

 

 

誰かにとってはローライトの時間

 

 

僕は未だにキラキラとしたモノに見えています。

 

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リョウマサヒロ

iPhoneの謎設定を解明【iPhone・音ズレ】

動画編集してて割と疑問だった事の一つ。

 

iPhoneで撮影した動画を元に、叩いてみた動画をつくったり、音声別撮りで後から合わせたり、原曲を動画にあてがうと

 

死ぬほどズレていく。

 

始めは自分がずれてんだと思っていましたが、

 

んなわけあるかよってレベルでズレてったのでマジでなっとくいかなかった。

 

最終的に1拍(1拍はいいすぎた、音符ひとつ分)くらいズレてんのは、これはミュージシャンとしてはありえない。

 

でも音を合わせたらやっぱりずれてる。何かおかしい。

 

しかし。

 

原因が解明しました。(だいぶ前に教えて頂いた内容です。)

 

 

 

この内容、Google検索だと

 

iPhone 音ズレ」

 

で調べても

 

調べても一向に出てこないんですね。

 

検索に引っ掛けるには、専門用語を入力しないと出てこないし、なんならiPhone独特の言い回しの設定で、ヒットするのは奇跡。

 

そんな内容で苦労したのでブログにしました。

 

 

結論を先に言うと、iPhoneは出荷デフォルト時には

 

『実際録画した長さより微妙に長さが変わる設定がデフォルト』

 

 

 

その解消法がコチラ

 

 

『設定→カメラ→フォーマット』

 

f:id:ryomasahiro:20210520005921p:image

(この画像の状態が正解)

 

 

デフォルトではコレが上のやつになってます。

下のやつにすると、その現象が解消されます。

 

↓少し詳しく書くとこう↓

 

結論から先に書くと、iPhoneで撮った動画を何かしら動画編集するなら、

 

互換性優先を選べば間違いありません。

(バージョンにより相互性優先と表記)

 

 

 

 

iPhoneiPad)では、高効率と互換性優先の2種類からフォーマットを選ぶことができます。

 

高効率は、HEIFやHEVCと呼ばれるデータ量を高効率で圧縮できるフォーマットで保存されます。しかし、このファイル形式はiPhone以外、PCや他スマホでの視聴ができない場合があります。

 

また、この高効率というのは

 

「可変フレームレートで撮影している」状態をさします。

 

これはフレームレート(ざっくり、動画の再生速度みたいなもの、というか撮影対象物のコマ送りの仕方に関係する)が撮影された動画内で一定ではないという事です。

 

これは動きの少ないシーンでフレームレートを省エネする傾向があります。

 

もっと詳しくいうと、動画というのは、超高速連続写真を順番に並べてる、いわゆるパラパラ漫画と同じ方法で動きを映像として再現しています。

 

いわゆるヌルヌル動く動画というのは、その連続写真のシャッターの速さが異常に早くて、めちゃくちゃ細かく刻んだ、みたいなイメージを持ってください。

 

なので早い動きの物の撮影も、シャッタースピードがめっちゃ早ければ、その写真のパラパラ漫画でくっきり動いて見せれるわけです。

 

一方で、フレームレートが可変というのは、

 

そんなに早いシャッタースピードじゃなくていい所は自動でスピードを落とすという事です。

 

つまり、動画内のその一コマ一コマの写真にあまり変化がない部分は、かってに認識してフレームレートを落としてしまいます。その仮定で、微妙に実際の時間軸より動画内では早く動いてしまったり、遅くなったり、するわけです。

 

その圧縮率はそもそもの撮る時のキレイさや滑らかさ(解像度やfps)にもよって変わってきます。

 

つまり

 

iPhoneでの撮影後、撮影したデータをすぐにwindowsのPCで視聴する・撮影した動画の編集をする・音声を別で録音してあとで合成する・叩いてみた動画など映像にさらにシビアにタイミングを合わせて音声を当てる事

 

などを考えているようでしたら、互換性優先を選択してください。

 

この互換性優先というのは

先程の話でいえば

 

『固定フレームレートで撮影』してるモードです。

 

つまり、これが実際の音声と映像にズレが出にくいベストな状態です。

 

また

 

互換性優先(相互性優先)では、動画はMP4という汎用性の高いファイルフォーマットで収録されるため、基本的にどのPC、どのスマホでも変換をせずにすぐに視聴が可能という特徴があります。


唯一のデメリットは4K60fpsは非対応(らしい)という事くらい。

ただ、個人的にはコレはファイル容量がデカすぎるのであまり使わないです。

 


もし使うとしても、このクオリティを求めるならばフルサイズのカメラを使用することがてっとり早いので、iPhoneで撮影することはほぼないです。

 


迷わず相互性優先を設定してください。

 

 

ちなみに、僕がお伝えできるのはここまでなんですが、

 

どうやら

 

やっべ!間違って高効率で撮影しゃったよ!って場合も、

 

可変フレームレートを固定フレームレートに直したり、可変フレームレート対応の動画編集アプリもあるらしいです。僕はそれは使わないので、もっと詳しく人に聞くか、必要なら調べてくださいね。

 

 

リョウマサヒロ