ドラッグ&ロックン・ロール

音楽活動報告、よく思考のまとめを行います

ハローワールド・フロム・ザ・シック

皆さんおはよう、こんにちは、こんばんは。

 

お元気か。久しぶりだなぁ、ブログを書くのは。

 

リハビリをしている。

 

今日も思考をまとめていこう。書く事で頭の中を整理していこう。

 

さっそくだけど、

 

歳をとった、と言うのは極力避けたい言葉だったし、言葉である。

 

しかし、精神と乖離した物事は、そのギャップにあてられ、あたかもそう実感してるような錯覚に陥るもんだ。これについてもきっと例外じゃない。

 

一般的には、昔の様に体が動かないとか、朝起きてまず体調が優れないとか、筋肉痛が遅れてやってくるだとか、現実で身体が放つアラームによって、必要以上のリアルを叩きつけられる思いをするらしい。

 

しかしこれは自分にとっては似て非なるものだ。俺が言うこれは、「老い」を指して感じているのとは違っている。

 

肉体的というよりむしろ、価値観の変化が最もその理由たる物な気がしている。

 

 

Hello World ?From the sick.

 

 

差し詰め、今記した奇妙な英文のように、世の中に対して穿った見方をしていた頃、つまりまだまだ青臭い精神性だった頃において、世の中はもっと奇妙な物としてこの目に映っていたし、ごく普遍的にある最も身近な"異常"、それが世の中だった。

 

当時の感覚で言い換えれば、"世の中狂ってる"ってやつだ。その当時は、(あるいは今でも部分的には、)感じている事をうまく言語化する事が出来ず、この台詞に収束していた。

 

 

この、"おかしいだろ"、"狂ってる"、"異常だ"、"間違っている"という、根拠のない直感的な感覚が、自分の中では物凄いエネルギーを産んでいたと気付くことが出来ていたとしたら、ネガティブな言葉としてではなく、もっとポジティブな言葉として、表現できていたんじゃなかろうか。

 

直感が叫ぶ。世の中がおかしくて、自分はおかしくないと。

 

脆弱な精神性に置いては、そう感じる事はなんらおかしな事ではない。しかし、ある程度年齢と経験を積み重ねた人なら分かってくれると思うんだけれど

 

世の中がおかしいのではない。おかしいと感じる事は、それが起こり得るように、あらかじめ仕組まれている。これが名もなき秩序であり、当たり前に存在する大前提であると。多分どっかの誰かが混沌と呼んだモノなのだと思うが、きっとこれが詰まる所、今の普通なんだと思う。

 

だとしたら、こんなにも絶望的な状況ってあるか?

 

自分が一つおかしいと感じる事を思い浮かべて、試してみたい。それはよくよく考えればおかしくないのか、はたして。

 

できる限り伝わる様に勤めたい。手始めに漠然とイメージしやすい物で表現するとしたら

 

 

例えば、戦争。

 

戦争は良くない。これはわかる。そういう人の気持ちもわかる。そして俺も良くないと思う。

 

(※良し悪しの話は見方を変えれば、結果も変わるから割愛しよう。)

 

だが、戦争が起きるの事そのものが、おかしいと言えるだろうか?

 

何も考えなければ、ただ否定するだけで済むだろう。

 

というか、昔ならそれで済んだ。戦争が起きた結果、多くの人が不幸になるじゃないかと、机を叩きながら文句を垂れる事が出来た。

 

しかし、

 

疑問を追求すればするほど、おかしくないんだ。

 

あくまでも例え話だが、戦争ひとつとっても、

 

兵器と言うものが存在する。

紙幣というものが存在する。

秩序という脅かされたくない物が存在する。

格差がある。

国という単位で区切られている。

宗教という価値観の違いがある。

科学という人並外れた力がある。

人には欲がある。

国家という価値基準が存在する。

それは個人の価値基準とはかけ離れている

そして、

あろうことか、これらを取りまとめた

 

戦争を行う際の国際ルールが存在するときた

 

めちゃくちゃざっくりだが、目も当てられないと感じないだろうか

 

だいたい、今例えた様なプロセスが全てに当てはまる。あろうことか、最悪な事に、調べれば調べるほど、自分が疑問に思った物事に対して、ある程度の納得がいく。

 

何故なら、実際に起きている事は、起きる様に、あるいは恣意的に起こせる様に全ての仕組みが揃っているが故に起きる。それは、そうだ。だって起きてるんだもん。おかしいと思う事が。

 

様々な思考プロセスを試してみても、結果として起きたものは仕方ないになる。

 

論理展開で回避出来ないものを鼻から考える意味すらないのではないかと疑問に感じる。

 

それほど、異常が当たり前に存在する。

 

こうなっては異常だという価値観そのものがもしかしておかしいのではないか?と疑わざるを得ない

 

自分の感じた違和感全てに対して、大抵納得してしまう。当てはまってしまうから、今俺は非常に困っている

 

 

多くを知り過ぎた。非常に退屈である。

 

別段、自分が人より賢いとは思ってはいない。

 

それを踏まえても、もっとバカであるべきだったと思う。

 

むしろ一層の事、馬鹿みたいに人より賢いと思い込んでいた方がまだマシだった。

 

謎はある。それにいくらでも出てくるが、調べ考えれば大抵そういうもんかと悟る結果になり、非常につまらない。やっぱりおかしいよ!という感覚は一体何処へ消えてしまったのか。

 

よく分からないのは学問くらいなんじゃなかろうか。よくわからないけどさ。

 

謎の理論を展開して、世の中を否定して、自分自身を肯定してた頃の方が、精神衛生上、今よりも幾分かよろしかったと感じる。

 

けれど今となっては

 

大抵の、いやそれおかしいだろと言うものは、ちょっと考えれば、「いや、そんなもんか。」になってしまう。

 

これが、非常に、つまらない。

 

こうなってしまった理由やプロセスは色々あるんだけれども

 

最も大きいのが

 

 

『人間なんてたかが知れた生き物』感を感じてしまった事だった。

 

そして、自分自身もその人間である事も酷く傷ついた。

 

関係ない人間の、自分に関係のない事に対して生活を脅かすほどに怒る事ができ

 

人の命を画面越しから殺害する事に何とも思わない

 

人は簡単に人を殺すし、人は簡単に人を妬む

 

そしてそんな簡単に人を脅かす人という生き物は

 

猫がいじめられる動画をひとたび見ればたちまち怒り狂う

 

そうしてまた人の命を画面越しに斬り刻む

 

そして今話した内容なんてのは、ごく最近に区切った話で

 

画面越しでなくともそれをやってのける

 

猫の方がよっぽど生き物として立派だとさえ思う様になった

 

俺は猫が好きだからな。

 

閑話休題、話を戻そう

 

昔自分が想定していた世の中は、もっと明るく非常に慈悲に満ちた世界だった。

 

 

だからそこに異物として見えた物はごく自然におかしいと思ってきた。

 

 

けれどもいつしか、世の中に対して感じるモノは反転してしまった。今身近に感じるのは慈悲に満ちた世界でなく、もっと薄汚く色彩の薄暗い、混沌とした世界だった。

 

慈悲に満ちた世界の方がよっぽど異常に感じる。

 

もうしばらくはそれが当たり前になっている。

 

みんな毎朝起きるだろう

 

ハローワールド・フロム・ザ・シック

 

毎朝、病んだ世の中で挨拶を繰り返している。

皆はどうか。

 

自分は病むまい病むまいと気をつけてるつもりだったが、長い目で見ると非常に大きな変化をしてしまった

 

これが良いことなのかよく分からないまま進む。誰に向けてでもなく、ただひたすら何かに挨拶を繰り返している感覚が途絶えない

 

一体何に話しかけてるんだから分からない感覚がとても気持ち悪いよ

 

だが同時にこの気持ち悪さは忘れてはならないはずだ

 

 

 

p.s

 

最後に、写真だけ載せておこうと思う

 

この写真はおおよそ10年前

 

個人的にはかなり気に入っていて、定期的に見返す

 

それこそ慈悲に溢れた世界に浸っていた頃

 

人から借りた一眼レフで撮った

 

自分から見て最も異常で、非現実的だと感じた光景の写真

 

あまり上手く撮れてはいないが、とても気に入ってる

 

 

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