ドラッグ&ロックン・ロール

音楽活動報告、よく思考のまとめを行います

俺には到底理解出来ない話

皆、おはようございます、こんにちは、こんばんは。リョウマサヒロだよ。

 

なあ、聞いても良いかな。

 

「やってやんよ!」って感覚、ある?

 

まだ、ある?

 

 

 

1.クソガキの時はやってやんよが当たり前だった

 

目の上のタンコブな先輩や、たいしてすごくないただの年上、マウント取ってくる癖にろくに面白みもない老害

 

そんな奴らに対して、うるさいなお前って言えなかった悔しい経験とかって、今の20代の人達ってあるのだろうか。

 

はたまた、今ビギナーの人達って、あるのかな

 

俺はそう言うのがめちゃくちゃあった、"ありがたい"時代に生まれていて、何がありがたいかって、クソうざいなって思う先輩や大人がはっきりと耳障りの悪い事を言ってくれてた事なんだよね。

 

反骨精神っていうのかな、生きるのに俺は絶対必要だと思ってるものを養わせてくれた人達がいたわけ。

 

ちなみに良いなって思う先輩たちは

 

それを背中で語ってたね。

 

もしくは目の前で実演されて、言葉も出ない状況にさせられた。

 

 

 

20年くらい前の時代から数年前までの話になるね。当時はマウントなんて言葉、年末年始の総合格闘技の番組でしか聴かなかった。

 

今はそれがタブーってされてるらしいけれど

 

どうでも良いんだけど、タブーっていうより、何もやってねぇのにそれやるダサい人が多いから、「マウントは取らない方が良いよね」みたいな風潮があるなって思っている。

 

「お前やれんのか?あ?」

 

って、いい意味で言ってくれる凄い先輩が居なくなったから、

 

 

やってやんよ!

 

って言う人が少なくなってったなって、思うんだよ。

 

 

その分、やれもしないのに批評家気取りがめちゃくちゃ増えたなとも思う。

 

 

 

 

 

2.その実温室育ちになると何も頑張れないすぐ辞めてくやつが多すぎる

 

 

 

でも、その実は2つの理由だと思っていて

 

一つは、マジで簡単に、やってやるその前に辞めてく人があまりにも多すぎること

 

もう一つは、

 

やってやんよって昔言ってた、あるいは思ってた人が、本当にやってやり始めて敢えて言わなくても良くなった事。

 

 

世の中の大半はやってやんよすら言ったことない平和の国の世界線に居る気がする。

 

 

と思ってたけど、まだ昭和の体育会系育ちの人が多いよね?

 

なんで?みんな推し黙ってるよね

 

パワハラ

 

何それ?当たり前にされて来たけど。

 

 

 

 

けれどどこかには必ず点在している、未だにバチバチと火花が常に散ってる世界線の住人は

 

そんな中虎視眈々と反骨精神を育て、行動して

 

強くなっていった。

 

 

そう言う人が決まって口にするのは

 

「できますよそれ。」

 

 

 

もしくは

 

「すでにやってます。」

 

 

 

「もうやりました。」

 

 

仕事じゃそれしか言わなくなった。そんな自分に期待をする。一方で、まだまだやってる奴が居すぎる事が分かって、口が裂けても言えなくなった。

 

もちろんそれが当たり前なんだけど、ちょっと引いてみてみたら、子供だったあの頃の自分が喚き散らして、それを大人達が生ぬるい目で見守ってくれてた時代はほんと楽だったなって思う。

 

お尻拭いてくれてたんだよね。

 

そしてその時代の目上がウザかったおかげで、今、人様の尻拭いを出来るまでにはなれたと思っている。

 

 

この場を借りて感謝します。お尻拭いてくださってありがとうございました。人の尻拭いってマジで大変っすね。今なら分かります。

 

 

ここ最近、

 

 

マウント合戦だなんだって良く聞くけど

 

古い言い方で言えば、ただの体育会系の劣化版じゃん。

 

体育会系の中には、シゴキと、絶対命令があって、しかも下剋上もある。

 

この下剋上っていうのがポイントだと思っていて、

 

うるさいなお前って言いながら上から目線なだけのザコ(先輩)を蹴散らせるのが体育会系の良いところで、体育会系もとい、弱肉強食が本質。

 

 

いつから、マウントを取るとか言う

 

ダサいポジション取りゲームにすり替わった?

 

 

 

 

3.ポジション取るやつより取られるやつのネガティブな発言の方がタチが悪い

 

最後に言いたいことはコレ。

 

タチが悪いのは、言われて愚痴を吐いて、それに群がりそうだそうだってお祭りにする奴ら。

 

 

そんなんじゃ何も成長しない、鍛えられない。ぬるすぎると思うのは俺だけか。多少いた方が良いよそういう人。

 

そういう人を実力でねじ伏せる事が最も大切なわけだ。

 

で、そういう人は大抵、弱い奴をターゲットにする。

 

 

そこで終わっちゃうから、かわいそうなんだよな。

 

上下関係っていうかさ、なんての、先輩後輩の絆がないから、助けてもらえないんだよねきっと。

 

弱い人が弱いままで終わるんだろうな。

 

俺が弱かった時は、目にかけてくれてる先輩がすっ飛んできてうざい奴の胸ぐら掴んで投げ飛ばしてくれてた。(比喩です)

 

 

それにしてもさ、

 

本人に言えば良くね?

お前ごたくはいいからやってみせろよ

 

マウント取る方も、取られる方も、

 

ザコすぎないか?

 

 

やり返せば良いじゃんそんなの。

 

やり返せないなら、素直に受け止めて悔し涙流しながらやればいいと思うよ。

 

逆に、

 

遊びでやってるならこっちは遊びでやってんだ邪魔すんなって、言い返せばいい。楽しく遊んでるのを邪魔するなんて、分かりきって良くない事なのに。それを指摘したところで、指摘した君が後ろ指さされる事なんてないだろう。

 

 

本人に向かってハッキリ言えば済むものを

 

何をそんなにいちいち、ムカつ人ブロックだなんだして、そいつにバレない所で陰で大事にしてるんだろうか。

 

それが一番時間の無駄だろうに。

 

暇なんだね?

 

それで、1番腹立つのが、皆の頑張ってる姿に混じって、見たくもない愚痴みたいな言葉が流れてくる事だ。

 

申し訳ないけど、そういう事言ってる人見たくないんだよ、そういうの。

 

本当、悪いなとは思うけどさ。

 

 

 

これを最後まで読んでくれた皆は、どう思う?

 

勇気がある人は聞かせて欲しい。

 

 

 

普段歩かない所を歩いてみたんだよね

皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。

 

GWはスタジオワークにライブの遠征サポートにレッスンにラジオ収録に、酒を飲むのに忙しかった僕です。

 

 

ああ、忙しい、忙しい

 

 

今年は勝ち取ったGW、最終日はめちゃくちゃテキトーに過ごすため何も予定を入れずに今日までを過ごすわけ

 

それは何故かって?朝起きたテンションで今日何するかを決めるというギャンブルみたいなことがしたかったから

 

 

ここ最近、重い腰を持ち上げて、今住んでるところから引っ越そうと企んでいるわけです

 

企んでいるだけであくまでも未定なんですけどね

こう、ほら物件を検索するじゃあないですか

見てたらね、なんかめちゃくちゃ気になる家を一つ見つけてね

 

ただ僕、家の中よりもむしろその周りの雰囲気の方がよっぽど重要だったりするわけです

 

だって、例えば仕事で遅くなってとてもじゃないけど今からご飯を作りたくない時とか、家の周りに何があるかでほとんど食べるもの決められちゃうようなもの

 

だって、例えばちょっと自然の中で深呼吸したいなって思った時に周りに自然公園的な何かがなければわざわざ電車に乗って行かなきゃいけないわけですよ

 

家ってむしろ家の周りの方がよっぽど重要じゃないかと思うわけ

 

 

という事で

 

 

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マサヒの路線バスの旅(仮)

 

ぬるっとスタート。

 

 

とりあえずバスに乗ってどっかの路線の終点へ

 

 

そこから歩く

 

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目的地はとある筋から仕入れた情報を元に、とある場所へ

 

なにやら花と緑が綺麗そうな、そうでもなさそうな、やっぱりちょっと気になる道を発見したんでお酒を片手に、そろそろ夏だろ!というこじつけでサンダルを履いて

 

いざレッツゴー

 

 

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自然公園にむかって歩いていると、フェイク

 

突如、閑静な住宅街に現れたビミョーなサイズの緑に惹かれてちょっと中に入る

 

歩いて10分早くもサンダルで散歩に出かけちゃった事に後悔しはじめた

 

さっきスーパーで買った唐揚げ、ここで食べちゃおうかなって心折れそうになる

 

しかし目的は自然公園

きっとそこで食べる唐揚げは美味いはず

 

 

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さらに15分くらい歩いて、ついに自然公園的な何かが見え始める。

 

 

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おお!ここだ!

 

と歩いてみると、なんかめちゃくちゃ見たことある感じの公園にたどり着きました

 

そうね、数年前に吉祥寺に住んでたんですけど、そこの近くにあった井の頭公園に似てる

 

ただ、ソコとココが違うのは、井の頭公園みたいに休日に突如現れる素行の悪くてうるさい大学生的な何かみたいな人がいない事

 

どちらかと言えばソレの真逆の、人達が居た

 

 

 

犬の散歩してるようでむしろ犬に散歩されてる品のいい人や

 

杖を片手にめちゃくちゃ早く歩いてるおばぁちゃんかおじいちゃんにその杖なんなんだよってツッコミを入れ

 

子供そっちのけでブランコを楽しんでるお父さんを片目にあきれてるお母さんの家族を見ながら多分この子供もいつかこうなるんだろうなと思いつつ

 

 

 

 

みたいな感じの人種がたくさん居ました

 

 

 

みんな僕と違う人種

 

 

 

 

サングラスかけて派手なシャツを着て酒片手に歩いてる人がどこにもいねぇ!!!!

 

 

 

 

 

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ちなみにこれが今日の足元です

 

ここで待ちに待った唐揚げを食べました

 

うん、美味いけど流石に冷めてらぁ

 

まあでも美味しい

 

 

 

サンダルね、

 

去年買って、あんまり履かなかったZARAのサンダル

何故去年あまり履かなかったかを自然公園についた時思い出した

 

めっちゃくちゃ足痛え!!

 

 

 

これ足の形に合わなかったんだよね

 

 

まあいいや

 

散歩を続ける

 

 

とりあえず公園を1周しとくに限る

 

 

 

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コレコレ

 

森林浴

 

いい感じのところに立って

 

 

 

両手をあげてー

 

深呼吸〜

 

 

あー、いいわぁ

 

 

 

 

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で、そこからは横着して、家に帰るつもりが

 

途中で下車していつものスタジオに来てました

 

 

 

今日久しぶりにゆっくりタラタラ、お酒飲みながら散歩をして思ったことは

 

 

こんな事しばらくしてなかったなって事ね

 

 

また、仕事が忙しい毎日かもしれないけれど

 

 

やっぱり近くに森林浴できる場所は必要だなって思ったね

 

 

 

ざ、心の余裕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、また。

異常なスピード感

皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。

 

なかなか久しぶりになってしまいましたね。

 

 

なんかここ最近色々やってます。

 

色々といっても大体やる事は決まってるんですけど、その決まったことの中でめちゃくちゃ色々。

 

 

 

トライ&エラーを繰り返してるのはあいも変わらずと言ったところでしょうか。

 

 

ふとね、今日ブログ書こうと思ったのは、完全に頭の中の整理なんですけど

 

 

俺最近めちゃくちゃ実感するんですよ。

 

32歳にもなると、仕事上の事以外でなかなか怒る事も怒られる事もなくなってくるなと。

 

特に自分の場合は、立場上怒りたくなくても怒らなきゃならず、しかも上手に怒らなければならないというハードルの上がり方が異常なんですが

 

 

ふとね、年齢のことを考えてみたんですよ

 

 

仕事では自分よりはるか年上の人に向かって叱らなければならない場面も余裕であるわけで

 

なかなかこっちもシンドイわけです。

 

でね、個人的に信頼を寄せてるある部下に、

 

思い切って少し弱音を吐いてみたんですよ。

 

そしたらふと言われたんですよね。

 

 

「怒って貰えるのはありがたいことなので、ぎゃくに怒られなくなったらこのお店終わると思ってます。」

 

 

その時俺が思ったのは

 

 

確かに怒られてるうちはハナだな。

 

 

でもこれを言える人って少ないですよね。

怒られるの、だって普通いやじゃん。

 

めちゃくちゃ素敵だなって、思っちゃった。

 

 

人のこういった一面を見ると

 

色恋の意味ではなく

 

人柄に惚れちゃうんですよね。

 

 

それで、年齢ついでに考えが派生してって

 

 

この歳になると自分よりも歳が下の人に素直に怒られる事ができる年上もなかなか少ない事に気付くわけです。

 

それと同時に、素直に褒めることもできなくなるわけです。

 

 

どこか上から目線になったり

 

どこか大袈裟になったり

 

 

 

普通に、まじすげぇな

 

って言えなくなるのかもしれない。

 

 

自分に自信がある事と

 

 

視野が狭くなって過信する事は

 

 

似てるようで違うのはご存知の通りだけど

 

 

 

これ意外と、気を抜くと、天狗になってる自分に気づかなかったりしますよね。

 

 

字面や言葉面じゃ、分かってるつもりでもね。

 

 

 

別に過度に謙虚でいる必要なんてないと思っていて

 

 

むしろやる事に自信がないと成立しないので、自信がない事は俺の中では、特に仕事においては相当な悪なんですけど

 

 

それと天狗になるのは違う。

 

 

これのそれの違いは、

 

 

明確なものは俺にもわかってません。

ここはむしろ肌感覚とか、人の振り見てハッとすることの方が多いかな。

 

 

 

ただ一つ言える事は、やる事やってれば

 

人との差とか優劣

 

つけてる暇なんて俺にはなかった、いや、持てなかったってことっすね。

 

 

むしろその暇さえもが、ある種、結構羨ましくなるくらいにやばいスケジュール感てあるじゃないですか。

 

 

周り見てる余裕が作れないというか

 

 

ただ今爆走中みたいな。笑

 

 

余裕ないの、自分的にはけっこうしんどかったりもするんだけど

 

 

1ヶ月経つともう懐かしくなってて、余裕!みたいな。

 

それで、

 

このスピード感が、異常だと感じなくなる異常さというか、そういうのにふと気付くと、あっという間に1年が経っている。

 

時々、ふと話題に上がる、

 

『コロナなげーわ!』

 

という感想に、なんだか共感できない自分がいるんですよね。

 

 

それで、俺なりに考えた結果、

 

 

やる事あるっていいわぁ〜

 

 

って事だったんですけど。

 

 

結果、けっこうしんどかったけど、これはこれで大アリ。みたいな結論になりました。

 

 

 

 

 

うまくまとまらなかったけど、そういう事を今日は考えました。

 

それではまた。

 

音楽が用意された詩(The life plant)

 

 


"人と人の交差の傷跡は絶えない"

 


繰り返す衝動

反芻する鼓動

まるでそれは揺動のようで

 


欲望に抗う術を持たず

職能を生かす術も持たず

性能は限りなく衰えゆく

 

 

感動と情動は絶え間なく連動する

その先は果てしないく

欲望と後悔の間に生まれた我々は

傷跡が絶えず続くことに辟易した

 


わずかな生きて行く術と

その先にあるのは希望か絶望かすら

見極めるにはとても短すぎる時間

だけを与えられ

 

 

繰り返し続ける

 

ならば同志よ

 

躊躇なく傷を舐め合え

 

健全な機械でいるより

 

不健全な人間でいるために

 

躊躇なく傷を舐め合え。

 

do over again / The life plant

あけましておめでとう

今年もよろしく。

 

ここ最近は自分の中に取り入れられた文化

 

「年の初めはさだまさし

 

 

いわゆる 「生さだ」

 

から始まる1年。

 

この習慣、なかなかユルて良い。

 

3年目。

 

 

 

年末年始、いつもなら一年を振り返ってから、本年の抱負とかを書き綴るのだけど、

 

 

今年はどちらもやらずに過ごしてみようと思う。

 

 

毎年真面目に抱負は考えてみるも

 

何も始まっちゃない1年の始まりだとあまり何も浮かばないなとかモゾモゾするもんでな

 

 

 

時間が決まった速さで過ぎてゆくので

 

時を過ごしつつ、降ってきた物を豊富にしようと思う。

 

 

 

という事で、なーんも決めずにダラダラ過ごす年末年始

 

なんだか久しぶりのダラダラな気がするので

 

猫と家族とゆっくり楽しむ事に。

 

 

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分断と闘争、あるいは革命と希望

ここ最近の限られた時間の中、具体的には通勤時間と休憩時間、そして寝る前の少しの時間以外では常にドラムの事かドラムの事かドラムの事を考えつつ、その実大半は仕事の事やビジネスの事や、働き方の事を考えている。

 

 

 

 

そんな限られた中でここ最近考えていたのは、

 

今日のタイトル、あるいはテーマ。

 

 

でも今日は久しぶりにブログを書く時間を作ってみたからめちゃくちゃ長いものを書こうと思っている。

 

なのでテーマに入る前に序文の様な物から入ろうと思う。

 

 

俺は薬剤師をやりながらバンドマンをやりつつ、ドラマーとしても仕事をしつつ、哲学的というか思想的と言うか考え事を文章しながら、人間という職業をやっている。

 

その歴を長い順に並べると

 

人間

哲学

バンドマン

薬剤師

ドラマー

 

こんな感じだ。

 

バンドマン歴18年を基準にすれば

 

人間歴32年

 

哲学を文章化歴26年

 

薬剤師歴8年

 

ドラマー歴4年

 

といったところ。

 

なんとなくコレで言いたい事が伝われば嬉しいけど、つまりドラムと同じくらい僕は考えた事を文章化したいし、文章化するために考えたい。

 

俺は、考え事をする無駄な時間が取れなくなるとストレスが溜まる。そんな中、昨今考える為にやっていた事は、とにかく人の議論を見る事。人の思想を聞く事、論理的思考を知る事。

 

この3つ。

 

薄利多売の人間という職業での共通の通貨は

 

お金ではなく時間だと思っている。

 

人生という長い時間、あるいは短い時間は必ず残りゼロになる事は今のところ決定していて、しかしあとその貯金がいくらあるのかが見えないという、真面目に考えるもとても恐ろしいルールを設定されたゲームの中にいる俺たちは、本当なら目標に向かって突っ走る事よりも、いかに無駄な時間を楽しく作るかを重要視した方が幸せになれると思っていて、そんな事を言うと日々一生懸命邁進してる人にそっぽを向かれそうだけど、コレは俺にとって真理に近い。

 

なぜかと言うと、自分に与えられた時間の残りがわからないからだ。

 

急にゼロに向かって行く事を実感する世の中が来た。そして、生命の循環が閉ざされた世界が来た。それがコロナ禍だったと思う。

 

俺にとって目標というのは、あくまでも目標が達成されるまで自分に時間が与えられてる物だと仮定して立てる物なんだけれども

 

それよりも人間の本質的な面白さって、そんなのやってなんの意味があるのか分からないけどずっと続けて、そしてなんの意味があったのかわからないまま終わって行く事に幸せを見出せる事だと思っている。

 

だから、無駄な時間というのをとても楽しむ事が何よりも最重要課題であり、生きる上でやらなければならい、つまり必要な事をやる時間をいかに楽に過ぎ去るかもまた大変必要な物だと思う。

 

夢でもいい。無理だとわかってても諦めきれない物という人もいる。

 

俺にとってはそういう希望みたいなものは、『無駄を楽しむ事』という自分的に超ポジティブな言葉に集約されている。

 

 

そういった意味で俺は何かを描き続けていたくて、考える事というのは他者や世の中を傍観さえ出来れば無限に出来る、いわゆる超コスパの良い『暇つぶし』である。

 

 

それが理由で、前日行った対談では、

 

※5時間にわたる対談、ぐーたんラジオvol.2

https://youtu.be/chKNCZHa09I

 

『もっと自分自身のためにやってると胸を張って言える人が増えたら嬉しい。俺にはそれがタブーかとでもいう様な雰囲気を感じている。』と叫んだ。

 

 

仕事は、ぶっちゃけどうでもいい。お金持ちにはなってみたい。しかしそんな事は二の次三の次。金はもう十分だ。ただ好奇心から、お金持ちの生活をしてみたい。

 

きっとお金持ちの生活は向いてる気はしてるけど、お金持ちになる才能があるのかどうかが不明で、だから知りたい。

 

理由は簡単で、お金持ちは色々な無駄な時間の楽しみ方を知ってるように思うからだ。

 

お金を稼ぐ事が目的ではなく、なんというか、面白い事をやるために人生を使ってる様に俺には見えていて、俺には見えない景色から世界を見ているんだろうと感じるからとても魅力的だ。そしたら考え事も捗りそうだ。

 

 

だから、俺は最近はいわゆる「成功者」と言われる人達の話してる内容をよく聴き、その人たちが考えてる事を聞いたり、質問に対してどう答えるかを知りたくて、またその思考回路を学びたくてウズウズしている。

 

そんな中で自分の中で一つ書けそうな考えがまとまったから今日はブログを書く。

 

 

テーマ:分断と闘争、あるいは革命と希望

 

 

 

世の中的には、数字と統計上ではコロナ禍は収束に向かっているように見える中で、その実数字というのはいつだって顕在的、つまり表面化している部分でしかなく、潜在的、つまり見えない部分では一体どうなのか分からない今。

 

 

コロナ禍では、事日本のことを言えば、貧困者の分断が起きたと、たくさん言われている。

 

 

 

 

話は変わって、世の中的に見れば

 

日本の日本人が言う分断は、大した事がないのではないかと今は考えている。

 

というか、分断でいえば、起こり始めている瞬間の様に思う。

 

大した事がないと言うのは、当事者目線ではなくあくまで起きてる事象を広く捉えたときの話だ。

 

例えば香港の様に、クーデターが起こったわけでもない。

 

暮らすのに苦しくて自殺をしそうになった人はたくさん居るらしいし、自殺した人もたくさん増えてはいるが

 

 

暮らせなくなって人を殺して家を奪う人が続出している国や、住む地域に食べるものがなくなり強盗致傷事件が自分の家の隣で起きてるような場所が世界中である事を考えると、まだまだ国的には裕福かつ恵まれて、しっかりやっている方だと思う。

 

 

 

というのも

 

最近少し歴史を勉強しているのだけれど

 

 

フランス革命しかり、明治維新しかり

 

 

本当に取り返しのつかない『分断』が起きている時には、いつだってそれを覆そうと革命やクーデターが起きている。

 

 

その背景には、覆せるかもしれないというある種の希望があって、自分の命をかけてでも動く人が大勢出てくるものだからだ。

 

日本での問題は今起き始めている分断そのものではなく、

 

 

分断を起こさせまいとのらりくらり、やんわり誤魔化していつの間にか俺たちが気づいた時には沼にハマる様な、隠蔽的な、作為的な、つまり自分自身が格差の中に閉じ込められている事に気づけない様に誘導する、大切な事実をはっきり述べず、具体性の欠けた夢だけ見させる系の政治そのものが問題だと思っている。

 

後は、国民性が革命やクーデターを起こさない理由なのかとも一瞬考えたのだけれど

 

 

むしろそうではなく、こういった閉鎖的な空間の中で俺たちは、何かを変えられるかもしれない希望を全く持てていないことが原因なんだと思い始めた。

 

 

だって選挙に行って何か変わる気がしたか?

 

そう言う話と似ている。

 

まったく変わる気がしないのだ。世の中が変わる事を、変わってくれる事を、あるいは変える事を諦めている雰囲気、これをめちゃくちゃ感じている。

 

 

けれどもコレは本当に真理だなと思っていて

 

1人の力でどうにもできない事なのだ。

 

だから同じ思想の人達と結託を起こして変えようとするか

 

閉鎖的に自分自身のやりたい様に生きるか

 

諦めるか

 

に分かれるのだと考えていて

 

 

そのうち革命を起こすにはそこに一つの希望がなければならないのではないかと歴史が教えてくれた。

 

 

調べてみて欲しい。

 

分断が起きたとき、排除される側は、排除してる側を、本当の意味で殺している。

 

 

その中で多くの血が流れている。これは、先にあげた二つの例だけとっても明確に記録されているけれど、平時であればまずありえない異常な事だ。

 

人がすぐ死ぬ、それが分かっていて、明日にかけて特攻する。

 

そこに未来ある若者が参加するのだ。

 

大変由々しき事態である。

 

でも、それがあったから今がある。明治維新もそうだ。日本でも起こっている現象、倒幕現象。つまり国民が幕府を本当に殺しにかかった時代。この時代での分断は、かなり酷い。僕のブログでは書きたくない虫唾が走るほどの胸糞の悪い分断と淘汰が起こり、人々は闘争した。

 

でも結果、近代化革命へとつながり、法制から身分制度、はたまた流通や産業、教育までもが変して、現代につながる国変が起こっている。

 

 

 

じゃあ今それをやる気がするか?本当に変えようと思うか?一応のらりくらいこのままで良いと思ってないか?自分の命をかけてまでそれやるか?自分の子供が暮らす未来に向けて今お父さんやお母さんをやってるあんたは死ねるのか?

 

 

 

俺は子供はいないが、当然答えはノーだ。

 

ぜっっっったいやりたくない。

 

 

と言う事は、少なからず、そこそこなんとか暮らせる人達にとって、自分が死んでまで変えたい内容というのが、ないのだ。

 

それもそのはずで、政治が、変えなくても大丈夫っぽく演出している。だって政治の役割は暮らしやすい国である事をアピールする事でもあるから、そりゃ、「この国やばいっす」なんて事大々的にアピールしないし、

 

俺たち国民だって、俺らの国やばいって言うのを受け入れるより、「ま、そうは言っても生きてるうちにはやばいことにならないっしょ」と思っていた方が楽なのだ。

 

 

それがどんなに本当にやばいらしくても、それを受け入れるメンタリティがない、その内にかなり色々な政策がうやむやになり中央の都合の良い方へ話が進んだっぽい。

 

そりゃそうだ、コロナ禍に、自分の家業が危ぶまれたこの時代に、自分の生活を脅かしてきたウィルスが何処にいるか分からない恐怖があったこの時代に、いちいち見ず知らずの人を含めた国全体の由々しき事態まで思考を走らせる事が出来た人がいったいどれくらいいただろうか?

 

そうやって思考は停止して行く。

 

 

俺は、そう言った経緯からでも、本当に本当に悲惨な国政だったならば、革命やテロ、クーデターは起きて当然だと思う。

 

 

でも起きなかったのは

 

一つは、俺の住んでる国の状況は、『分断』というテーマについては

 

まだ、そんなに悲惨ではない事。

 

 

その次に

 

何も変わる気がしない、つまり希望が見えてこない事

 

 

そして最後に、

 

実は存在する由々しき事態を国が隠している事。

 

 

これらは、このテーマを考える前に

 

公文書が指摘削除されてることや、税金の使い道の公開がされている様でその実記録されてない事

 

軍事力をつけて核を持たないと本当の意味で世界戦争になった時に真っ先に抹殺されるのにも関わらず、未だに核は反対、原発は反対、なんか怖いと言ってる人が多い事

 

 

などから、仮説を立てた。

 

 

日本はまだぬるま湯に浸かれるだけ余裕がある。

 

 

 

例えば

 

 

北朝鮮をみて欲しい

 

 

 

 

なんであんなにクソ小さい国が

 

好き放題やってる国が

 

 

めっちゃでかいアメリカや、世界人口No.1の中華人民共和国から

 

ミサイル1発すら攻撃されないのか

 

 

 

日本はこんなにアメリカに対して物を言えないのに

 

 

北朝鮮は余裕で、対等な立場に立って交渉してるのか。

 

 

 

それは

 

 

シンプルで

 

 

核を持ってるからだと分かった。

 

 

核は非常にまずい。そして、少し前にニュースになったが

 

 

日本を余裕で攻撃できるミサイルの稼働実験を行った。

 

 

なぜ日本なのか

 

 

アメリカだと火種になるけど

 

 

日本相手じゃまともな戦争にすらなずにボコれるからだ。

 

 

核を持ってる持ってない

 

 

これだけで

 

アメリカや中国と対等に話せるかどうかが変わる。

 

 

そう言った意味で、核反対、集団的自衛権反対、反対までいかなくてもなんか怖い、そんな事を大半が考えていふ日本人はほぼほぼ、平和ボケしてる。コレを狙ったのだとしたら、お国さんは日本人の教育に大成功している。

 

 

 

コレはあくまでも論調の一つで、一つの考え方に過ぎないけれど、多くの、成功者で日本の未来に目を向ける余裕のある人達が危惧してる内容を

 

俺目線で俺の言葉で書いた内容。

 

 

 

ただ、唯一

 

俺は思う。

 

 

俺自身はそんな事はどーーでも良い。

 

みんな死ぬならそりゃそれで良い。

 

 

ただ

 

自分1人だけが死ぬ事だけを恐れて生きている。

 

 

だから自分の人生にフォーカスしまくりたい。自分の為だけに生きていきたい。それが誰か人のためになればそれはオプションとして幸せだ。でも人の為に生きる事は残念ながらめちゃくちゃ二の次だ。ビジネスでないと出来ない。自分が死ぬくらいなら革命なんて参加したくない。どうか誰かがやれば良いと思っている。

 

 

それは、変わる気がしないのと、変える必要性をあまり感じないのと、変えた方がいいと分かってはいても、それほど今の現状は悪くはないと判断したからだ。

 

 

ただ、この先本格的に世界が動いたら、日本はこのままいくと取り残されてしまうのだろうと言う事はわかった。

 

 

でもそれが分かったところで、何が変わるのだろうか?

 

あまり、衝撃的な事が起こった時に取り乱さない為に、世の中の事を無駄に考察して、びっくりして心臓が止まったり絶望して動けなくならない様に、考えている。

 

 

そしてそんな無駄な事を考えている今が、なによりも1番幸せだ。

 

 

戦争が起きたら仕事をサボって家に籠城すると決めている。

 

怖いから誰かそばにいてくれたら嬉しいし

 

逃げまくると思うし

 

必死に生きようとする。

 

 

けれどそれは何も戦争が起きるからじゃない。

 

今だって、出来るだけ楽に行きたいしストレスは溜めたくない。死にそうになるのは嫌だし、綺麗事や建前で自分が苦労するくらいなら、自分が思う様に生きれる事を優先して選択していく。

 

 

 

ただ、現実として

 

 

日本はまだ恵まれている。

 

分断が起きてる、淘汰が始まってる

 

と言うのは簡単だけど

 

それを声高々に言ってるのが当事者でなくあくまでも余裕のある手を差し伸べる側の人であるうちは、

 

本当に変わる事は無いと思う。

 

 

何故なら、歴史的にみて何かを変えることを成してきた革命やクーデターやテロというのは

 

今現在余裕ある人達の生活を脅かす因子だからだ。

 

だからそれなら、余裕ある人達が、あたかも本当に困っている余裕のない人たちに共感を示すかの様に振る舞い、手を差し伸べるアピールをして、本質的にはなんの助けにもならない手の差し伸べをした方が、

 

 

余裕ある側にとって、大変お得なシステムになっている。

 

 

だから

 

 

わざわざ不幸じゃない人が、日本は、我々は不幸だと思い込む必要性がないんだと思った。

 

 

本来なら、本当に余裕のある人が

本当に余裕のない人の事を助けるべきなんだと思う

 

しかし

 

その最上位の、つまり上級国民は手を差し伸べない

 

だからその中間層が一生懸命考える

 

 

しかし、一度に大量の人を助ける実行力も金もないもんだから

 

 

少しずつちまちまやるしか無くなっているとも言える。

 

 

 

それ故に、本当の意味で生活困窮者に行き届いた手の施しになってない。

 

なので大多数のまだ余裕のある人達の影に埋もれて、特定の貧困者、生活困窮者の声がかき消されて行き

 

革命を起こす気力も希望もないから

 

 

自殺する。

 

 

 

これがリョウマサヒロ僕自身の仮説だ。

 

 

 

余談

 

 

ここからは余談だけど

 

どっちかと言えば俺は、

 

 

本当に今大変な状況なのだと訴える人がいたとしたら、

 

それなのにも関わらず革命やクーデターやテロが起きないほどに希望が失われている事の方が問題だと俺は言いたい。

 

不幸ではないけど別段幸せでもないという微妙な雰囲気を良しとする方が、この状態では健全だとすら感じる。

 

 

見方を変えて、もし本当に何かを変えたいとしたら、俺だったら、こんな俺ですら革命に参加したくなるくらい、めちゃくちゃ最悪だ!と言う状況まで

 

いったん落ち切った方がむしろ本当に革命が起きて世の中良い方向向かうのではないかとは思った。

 

だからこそ、よーーーーく考えると

 

 

実は現状に、そんなに不満ないんじゃない?

ほんとーに不満?

 

 

その割にみんな動いてないよね。

 

と思うわけだ。

 

即席で何か意思表明を簡単にしただけで、何か動いた気になってる人はたくさん居るけど

 

俺はどちらかと言うと、その他大勢の中にいる事を受け入れることから始めた。

 

その方が自分個人的には、よっぽど説得力がある。

 

俺は特に世の中の為には何もしてないし、なんなら世の中良くしようなんてこれっぽっちも思って取り組んでいない。

 

 

 

(強いていえば核の一つくらいは持って欲しいけど、)

現状の日本に特に取り立てた不満も特にない。

 

 

 

ただただ自分の人生をよくすることだけ考えて生きている。

 

リョウマサヒロ

 

 

 

 

 

珍しく、はちゃめちゃな事を書くぞ

※親切心から前置き。これから多くの人たちが「毒」と称する物を吐く。けど俺にとってはこれがむしろ普通。そんなん初めて聞くわって人はビビっても大丈夫だよ。興味があればテキトーに見てって。

 

 

 

 

 

一生真面目に働くことはせずに、音楽の事は気が向いたら考えれば良く、好きな時に好きな女の子に会いに行って、好きな時に仲良い奴に会いに行って、好きな時に飯を食って、好きな時にライブハウスに行き、別につまらなければライブは見なくても良く、好きな時に死ねるもんだと5年前は思っていた。そんな生活が長く続かなかったのは、下手に常識を擦り込んだせい。

 

 

 

 

いつに戻りたいかと言われたら、その頃に戻りたい。唯一戻ってもいいなと思える時間がそこにはあった。

 

当時は本当にロクな生活などしてなかった。だがそれが一番楽だった。

 

あの頃はちょー楽しかった。しかし同時にお先真っ暗でもあった。が、先が見えないのなんてそもそも当たり前の話で、見えた気になって脳死するよりよっぽど健全だった。

 

 

 

見える範囲で手当たり次第、「やった事ないやってみたかった事」をやった。

 

 

自分勝手も盛り沢山だった

 

腹が立てばブチ切れ

 

性欲が溜まればセックスをして

 

腹が減ったら好きな時に好きなもんを食べ

 

気持ち悪ければ吐き出して

 

寝たい時に寝て

 

仕事もダルければ休む

 

上司が調子に乗ってたらぶっとばす

 

社長が舐めた事やってたら怒鳴り散らす

 

立場をわきまえるという事を一切考慮しない

 

 

もちろん、自分なりの理由がそれなりにある。でもそれは人様には関係ない。側から見たらこう見えるような感じ。

 

 

最高に自由だったと思う。俺にとっての自由はコレだった。何にも縛られないあの感覚。

 

一方で、堕落した人間性

 

ちょうど26〜28歳までの2年間の間だけ、私利私欲をぶん回した。

 

自分自身の為に生きる事ができた。

その実がどうかという事はあんまり関係ない。

そう思い込めている状態というのが大きかった。

 

想像し得ない人からすると、大変な生き方の様に見えていた"らしい"が

 

俺からするとこの先何十年も我慢をし続けて生きることの方がよっぽど人生ハードモードに見える。かなりイージーだった。

 

 

とにかく、手当たり次第、

 

いままで押さえつけてた物を全て解き放ったらこうなった。

 

ダリィ、うるせえ、うぜえ、しらねぇよ、そう言うのが原動力の大半を占めていた。

 

精神衛生状態はすこぶる健康だったが、人間性は落第点、落ちこぼれ

 

 

あの年齢だったから出来た所もあるっぽい

 

 

唯一なかったのは金だけ。けれどこれも実は当時は困ってはなかった。

 

よくしてくれる先輩も、遊ぶ友達も、暇潰しの娯楽も、語らう仲間も、なんでもあった。

 

とにかく時間があった。その時できた関係性は結構今でも続いてる

 

 

 

 

有り体に言えば、君らのいうところのクズ。

 

上等。最高だぞ、一回やってみると楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

こういう気持ちは今でもずっと心の奥底にはある。変わった事は、口にしなくなった事だ。

 

大体の分別はこの時期に身につけた。どうやらあまり人に話さないほうがいいらしい事は人に話さなくなった。

 

この時期には少し変わった人らとも付き合いがあったけど

 

そこにいる人達は皆普通だった。普通にキラキラしてた。

 

 

やべぇなコイツらって思うのはむしろほとんどマジョリティと言われる方だった。

 

大体なんでもマナーとか、常識とか、社会人としてとか、大人なのでとか

 

 

誰が作ったかもわからない、その正体もよく説明できないくせに、それらの範疇でしか行動しない、考えない、そしてそれを人にも自然と強要する、そんな人達の方がめっちゃ気持ち悪りぃなって感じていた。

 

 

 

というかね

 

行動が想像を超えてくる人達はマジで面白いんだよな。

 

一回そういう経験すると、後戻りできなくなるか、ビビって引き返すかの、大抵はこの2択だ。

 

けれども受け入れる事が出来るとかなり大きな物を手に入れられる

 

 

 

 

本来なら人間は、どっちつかずなもんだと思う。

 

ジェンダー論しかり、セクシャリティ論しかり

 

賛成派と否定派に分かれる議論しかり

 

どーやら皆、二分法がお好きらしい。

 

 

それがそもそも間違ってる。頭が狂ってるやつのこと見て毛嫌いしてるんじゃなく、頭が狂ってる人の事を理解できないのが問題なのでもなく

 

「頭が狂ってる人なんてそこら辺に居て、それが普通。頭が狂ってない方がおかしい。」という発想にならない。

 

いつまでも自分は部外者という前提

 

自分は頭が狂ってないという前提から話が始まる

 

頭が狂ってるこのが、悪とでも言うかのようだ

 

 

 

 

例えば

 

善か悪か、これは正義という言葉によって表裏一体となるけど

 

 

しかし

 

お前が敵だと思ってる奴から見たら、お前が敵だ。と見方を変えると感じ方が変わる。

 

 

例えば

 

 

男と女はその間にいくつものグラデーションがある

 

そんなのは当たり前の事なのに、その存在を珍しい扱いだ。乙女心は男にもあるし、男らしさは女にもある

 

 

例えば

 

性嗜好は無限に存在する。

 

 

マジョリティがいわゆる「普通」というような性交の仕方なんて、無限にある楽しみ方の種類の中のほんの一部でしかない事をまるで見ない。

 

(まずやってみろよ、マジ後悔するけど。)

 

 

大多数が普通の行いをしてると思い込み、そのほかに存在する可能性を否定していく。

 

普通の人ってのは、普通なのでなく

 

ただ普通しか知らない、無知と未経験の中から出ようとしないだけの奴だと思う

 

 

 

 

 

本当クソだよな、こういう脳死状態、結構気を抜くと片足を突っ込んでいく

 

 

ならないように気を付けている。

 

周りにどんな人間が居るかによっても変わってくるらしい、という事までは分かってきた。

 

 

 

ここ最近、ネットの海を見てて都度都度、

 

反吐が出そうになる。

 

 

本当に、気持ち悪いよ。なんなんだよこの流れ。俺には全く理解できない。話も合わない。

 

ラーメン食べた報告を毎回してくれる人の方がよっぽど好き。

 

 

 

 

 

1番びっくりしてるのは、未だに人混みや公共施設"以外"でも律儀にマスクをしてる日本人だ

 

これは本当に申し訳ないのだが、しなきゃいけないしないと感染すると思ってるのだとしたら、ちゃんと考えたか?って思う。

 

 

近くに誰もいない時にする理由を必死に考えるも、人に見られた時にアイツしてねぇって思われたくない、しか思い浮かばなかった。

 

 

 

 

したくてしてるならそれはとても良い、けれどもこんなにたくさんの人がマスクしたくてしてんのか?と気持ち悪く感じる。

 

脳死でしてないか?と思うけど、むしろこれに関しては、日本ってすげえわ。と関心までした。

 

 

 

未だに不織布マスクが絶対正義だと思ってる人がいるのも同じ原理だ。

 

皆がしてるから我慢しろ理論

 

不織布マスクで肌ガッサガサになって皮膚科に駆け込む人は未だに多い。それをシカトした押し付け。人には合う合わないがある。それを見向きもしない。

 

 

 

 

 

 

 

まるで、全員同じ表情をしたピエロになってくださいと言われてるように感じる。

 

 

 

 

 

俺も一丁前に世間体を気にするようになったらしいな。