ドラッグ&ロックン・ロール

音楽活動報告、よく思考のまとめを行います

3月が終わる前に振り返る

おはよう、こんにちは、こんばんは。

 

3月がもう終わる。

2月からこちら、だいぶ仕事と音楽と私生活のバランスが取れずに挫けそうになっていた。

 

周りで何が起きてるかを追う余裕が持てない自分に腹を立ててすらいたり、かと言って不満を撒き散らす時間すら与えられないそんな怒涛の生活。

 

不眠、胃が荒れ、吐き、腹痛にうなされ、頭痛が頻回に襲う

 

その多くは仕事だ。責任者というのは本当にクソがつくほど面倒くさい。しかも前任がまるで、仕事をしてなかった分のツケが俺に回ってきてる。そんな事に病んで仕事だけの人間になんてなってたまるか。その怒りが原動力となった3月だった。

 

奇しくもずっと人生を一回折り返したみたいなイージーモードな生活を送っていたせいか、世間様では当たり前の週に5日間仕事に時間を使うという事がまるで人並みにできない。

 

週に5日間、月換算で20日間。世間様では当たり前に送っている生活習慣らしいけれど、僕には上手くできない。というかやるつもりがない。結果としてはやったんだけれど。

 

無理矢理体を叩き起こし職場に行き、一仕事終えてから家に帰ってパソコンを起動し、電子ドラムを立ち上げて与えられたデモソングとクリックと睨めっこしながらひたすら録音する作業の毎日。

 

しかしこれがまた、慣れてくると楽しい。非常に勉強になる。ドラムを叩くと言う運動的な事ではなく、音楽的な面でめっちゃくちゃ感覚が鋭くなった。これは嬉しい誤算だ。

 

 

しかし、そんな生活をしてたら案の定、生の楽器に触れたくなって、

 

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持ってる全てのスネアをいじり倒した。

 


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スタジオにも何回も入ったけれど、イージーモードな生活をしてきた時よりは入れてない。もちろん、スティックに触る事は毎日勝手に行われる。

 

しかし個人練習という時間がまるで取れない。ほとんどは携わる曲の練習だ。そこに少しの不安を感じていた。不満は全くない。しかし不安だったのだ。

 

でもそれで良い。「仕事の忙しさを理由に音楽を疎かにしない。」これが俺の生きるルールだ。間違っても逆はダメだ。「音楽を理由に仕事を疎かにしない」なんてルールは俺には不用だ。俺は仕事は疎かにしない。というか出来ない。性格的にもうこれは仕方ない。だから仕事の日を極端に減らしていたと言うのに、まあ仕方ない。やるしかないんだ。

 

むしろ、いくら仕事が忙しかろうと音楽の仕事は入ってきて欲しい。音楽の仕事が無ければ俺は生きる屍になりかねない。

 

 

閑話休題

 

一つ前に話を戻すけれど

 

クリエイティビティに頭と体を使うと疲れ果てて、とてもじゃないけど練習やインプットができないようだ。普段聴く曲も、頂いたデモに対してドラムを入れた結果を聞き返してフィードバックするか、曲のリファレンスを聴き込むかくらいだ。それしか脳みそが受け付けないと言う事を知れた。

 

今月、創るという行為に携わったのはいくつかの種類を合わせたら、合計9曲と、動画の編集2つ。

 

良くもまあやれたもんだ。意外とやれる。週5日間仕事をしてたとしても、これだけのことはやれるらしい。

 

しかし、身体はだんだんいうことを聞かなくなってきた。脳も麻痺してきている。仕事の事と音楽のこと以外、頭にうまく入ってこない。私生活はボロボロだ。コミュニケーションがうまく取れない。

 

 

というか、どちらかというと音楽を無理してでもやってしまう。と言うのが正しい。何故なら仕事の後でも全く辛く無い。

 

けれど仕事は本当にクソがつくほど疲れる。嫌いでは無いが好きでもない。好き嫌いはどっちでもいい。やらなきゃいけない立場だからやるしか無い。「やる。」それしか選択肢は、ない。あとは「休む」という選択肢も入れないとダメだと言う事はとりあえず学んだ。

 

世の中のサラリーマンはやっぱり凄いと思う。しかし僕には向かない。やっぱり仕事にこれだけの時間を割くのはおかしいし納得がいかない。これは僕のわがままだ。3月の給料が入ったのだけど、まるで嬉しくなかった。仕事って何なんだろうな、っていう感覚になりかけたけど、そんなこと考える脳のキャパは残ってなかった。こうやって人は、「まあいいや。」が増えていくのかもしれない。

 

なかなかの額が入ってきたのだけど、「当たり前だろこんだけやってんだ。」という感情しか出てこなかった。というか仕事場で出来ない準備見たいのを家でやってる事を考えたら足りないくらいだ。とか、不平不満を言い出したらキリがないので割愛。

 

さてと、、、、、、、生ドラムに毎日触るという習慣が仕事によって立たれてしまった今、僕は昨今のテクノロジーをつかって遠隔でレコーディングに向けたアレンジをやっていた。

 

休みの日はサポートのバンドのスタジオで作曲に参加した。

 

仕事終わりに自分のバンドの新しい準備に取り掛かった。

 

なんだかんだで、週に2〜3日間しか働いてなかった人生イージーモードの頃よりも、仕事の量も音楽に携わる量も増えた。

 

 

そして、生ドラムへの恋焦がれを抱いたまま先日、とあるバンドのプリプロをしてきた


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何ら問題なかった。というかいつのまにかうまくなってた。生ドラムの演奏をサボっていたわけではない。しかしその時間以上にあまりにもクリックと電子ドラムに向き合い過ぎてたからちょっと不安だったのだけど、何のことはなかった。身体は全て覚えていた。あの生で音を取る感覚。集中力が物を言うあのシビアな世界。

 

そのバンド特有の渦の中に身を置く感覚、求められてる物を提示できた時の喜び。そしてシレッと忍ばせた俺流っていうのを褒められた時の高揚感。そしてそれが作品にマッチした事を確認できた時の、あの鳥肌。

 

ドラマーは個性的であれど曲に合わなければまるで意味がない。そことの戦いに勝利する感覚。作曲者が作る曲が俺が叩く事でかっこよくなるならなんだってやる。ダサくなるならやらない。シンプルなロジックが唯一通るのがバンド。あっちの仕事じゃそうも言ってられない。でも創る仕事は常にそうだ。本当に生きた心地がする。

 

音楽にまた救って頂いた。ありがとうバンド。

 

もう少し先の未来では私生活を安定させたい。しかし、今はこれでいい。イージーモードに慣れ過ぎたツケだ。しかしやはり目標は仕事なんて週に3日間で十分だ。その下準備期間だと思って今を全力で過ごそう。

 

 

 

やっぱり僕はクリエイティブな世界に居たい。仕事には誇りを持っているが、残念ながら僕が本当にやりたい事はここには無い。仕事はあくまでも仕事だった。僕には幸い、生き方を選ぶだけのチャンスがある。今ある牌(パイ)に加えてこの先手に入るであろう手札を意識して、まずは目の前の事から一つ一つやっていこうと思った。

 

慣れないパソコンと睨めっこしたお陰で、音楽に携わる選択肢は一つ増えた。

 

あとは、今はまだ頭を使いながらやってる急に増えた仕事量を、呼吸するようにできるように慣れればいけるはず。

 

「楽がしたいからシステムを組む」

 

これは僕のリスペクトする人が言っていた仕事論だけれど、タラタラやってられない身になってやっとその意味がわかった。楽をする事は、手を抜く事とは180度、やってる事がちがったんだな。

 

 

3月はそんな感じだ。みんなもお疲れ様。