令和4年12月11日
音源を出して、それと共に日本国内の色々な所で遠征ライブを経験させてくれて、自分の数年を費やせたバンドがこの日、あろう事か自分達のためにやったワンマンライブをたくさんの人に見てもらうというワガママまで体験させてくれた。
この日から遡って約7年前の2015年の夏頃
元々やってた自分のバンドがあまり音楽活動をできなくなり、自分も身体を盛大に壊してしまって内臓は炎症だらけ、おまけに杖をついて歩いてたあの暗黒時代を過ぎて、自分の足で立って歩けるようになった頃だ。ちょうどリハビリを始めて6ヶ月と言う頃だった。もう今までみたいに音楽ができないかもと医者に言われ、それに抗うように生きていた頃があった。身体は次第にゆっくりゆっくりよくなるにつれて、音楽からはどんどん遠くなる生活。音楽ができない事に怒りと情けなさを全身に走らせて、腐りに腐ってた自分。
やっと言うことを聞くような身体を押して、以前のように新宿アンチノックに友達のライブを見に行っていた。自分の状況は、少なくとも当時そこで勤務してたスタッフや、出入りしてた音楽仲間は知ってたから、またドラム叩けるよって励ましの言葉を貰っていた気がする。
またドラム叩けるよなんて、満足に叩けてるやつには決して発しないセリフ。当時の俺は有り難みを感じつつも、可哀想なやつ扱いされてるのが本当に嫌だった。
改装する前のあのアンチノックの低いカウンターで、腐りながらコーラを飲んでた時だ。
おつかれさまぁー!!!!
と、いつものように握力マックスで挨拶の握手をして来たロン毛。
内心、痛ってえな、この人なんでいつもこんな力入れんだよ
と思いながら「お疲れ様っす。」と返したのを今でも覚えている。
それがシノブモトーリだ。シノブさんも御多分に洩れず、心配して声かけてきてくれたんだろうって思った。でもそしたら違った。
「身体どう?バンドのみんなは元気?バンド活動できてるの?え?できてないの?じゃあうちで叩く?いやー前から良いと思ってたんだ。」
実際はもっと丁寧で言葉も綺麗だし、慎重にものを話す人だ。だからこんな言い方はたぶんしてないと思うけど、予想してなかった話題に俺の頭の中ではこう聴こえてた。
コレが俺が救われた日の事。
その後、間も無くして音源をもらって、聴き込んで、スタジオワークの日取りをLINEでやり取りした。実家の、母親が丁寧に手入れしたベランダでよく1stEPを聴いてたのを覚えてる。
始めてのスタジオは下北沢だった。
スタジオの後にカラオケに行ったのを覚えてる。
その年の9月、ライブをした。
少なく見積もっても、俺の中ではそれ相応のキャリアがある人で、自分がサポートする前から良いライブをしてたから、お客さんの期待に応えられるかを考えていた。万全の身体ならまだしも、ドラムに関して言えばリハビリ半ば。前みたいにドカスカ叩けない。
ライブ自体はあんまり覚えてないけど好評だったような気がする。
そこから俺は、東京に引っ越した。当然のごとく身体を壊したから働けず既に退職して、リハビリばっかりやってた無職なのに、東京に引っ越した。今思えばアホだと思う。
でもそれからだ。様々なバンドさん/アーティスト様からサポートして欲しいと言う話が来始めた。
もちろん、その頃からサポートして今でも続いてるのは1割程度。みんな辞めたり、他の正規メンバーが見つかったり、そもそも当時俺が相当下手くそだったから話が続かなかったのか、俺の性格が良くなかったのか、真相は分からないけど、とにかく色々やって色々失敗した。
その間もSMGはライブをやり続けた。
そんな中で俺の中で一つの気持ちが芽生えた。
この人の歌の横でドラムを叩くべきなのはどう考えても俺だけだ。他の人じゃない。
だから、俺はSMGに加入すると言った。
その時聴いた話じゃ、シノブさんが40歳になったらバンドを解散すると言う話もした。
俺からしたら寝耳に水だ。加入するって言ってるのに解散する話をされた。当時の俺はフザケンナって心中穏やかではなかった。だからだろうか、お互いの身の上話をする為に井の頭公園に夜な夜な出向いて話した。
話してみてよく分かった。納得した上で改めてやりたいと思った。
皆に加入を告げたのは2018年7月26日
コレは俺の勲章。
この日、十二月二十三日と言うバンドが活動休止ライブだった。
そこから、色々あった。2人で怒鳴り合ってケンカした事がある。俺はそれが嬉しかった。
俺らが俺らのために俺らなりにやるべき事でなくやりたい事をやれたら気がする。今振り返っても相当ワガママに自由気ままに音楽をやれた。
後にも先にもこんなバンドは二度とない。
そもそも、Groupって言ってるのにメンバーは2人、曲のBPMなんてライブで一度も守った事はない。毎年ライブのBPMは遅くなり粘り強く粘り強く演奏した。
『SMGの曲はいつか止まる』
曲が遅すぎて、お客さんの口から出た台詞。愛があるなと思った。
それで良かった。
やりたくない事はライブでやらない。コレに限る。
やりたいことをやるより、やりたくないことを削ぎ落とすことの方がよっぽど難しい。
俺は当初、コーラスをするのが大嫌いだった。
うまく出来なかったからだ。でも音源では違う。あった方が良い。
2018〜2019年 紫雲英蒔くepリリースツアーをした。色々なライブハウスに友達が出来た気がする。
2020年、間-AWAIE-という曲をMVでリリースした。
そして3年ぶりに
2023年1月14日
Shinobu Motoori Group
最後の作品
『モニュメント』
配信開始した。
1.流血のフロンティア
2.Ritual
3.ねぎらいのサイレン
4.おまけ
ライブ活動が終了した俺たちにとっては
サブスクリプション限定という形でしかリリースできない。
ねぎらいのサイレンは、1stEP.に素晴らしい音源が残っているけど、最後の最後に、俺たち2人の音源が欲しかった。俺が、欲しかった。
大切な事だからもう一度。
後にも先にもこんなライブをやるバンドは二度と出てこない。
今回の音源はその一部の記録として、誰よりも俺が1番ワクワクしてる。
良かったら皆さんも是非、たくさん聴いて下さい。
7年と6ヶ月
皆さん本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
Shinobu Motoori Group
リョウマサヒロ