今日は僕の祖母について書こうと思う。
ついこの間、僕の祖母は満90歳を迎えた。
この年齢にして、未だに絵を描いて自力で生活している生粋のアーティスト
僕が世界中のアーティストを思い浮かべて、最も尊敬する人は誰かと聞かれた時に必ず答える、最大のリスペクトを持っている芸術家。
彼女と僕は、僕が幼い頃からよく遊んだ。
僕が物心つく前から、祖母の家にはたくさんの画材道具と絵画があり、油絵具の匂いがする家が当たり前だった。
しかし、彼女は僕が子供の頃、絵を描く姿を見せてくれた事は一度もなかった。
「昔おばあちゃんが描いた絵だよ」
と見せてくれていたから、小さい頃の僕は、絵が上手なおばあちゃんだと、思っていた。
その頃から、あなたは良い芸術家になるよ。頭がいい。目も鋭い。たくさん考えて、疑問を持ちなさいと教わってきた。
僕はよく祖母に、大人になったら僕は絵を描くの?と聞いた。
すると祖母はこう返した。
描かなくても良いのよ。人はみんな何かを表現しているの。芸術家はなろうと思ってなるものではないのよ。
そう教えてくれていた事を今でもよく思い出す。
僕の祖母は、結婚して子供を産んだ事を機に、絵をやめていた。
およそ30年間。子供達が独り立ちするまで、筆を置いていた。
それは僕が大人になってから聞いた話だった。
それからまた筆を取り、台湾に帰り、売れた。
今では台湾の絵画史に名前を連ねる人になってしまい、現首相(台湾初の女性首相)から、同じ女性として素晴らしい功績を残した貴女に、是非私の肖像画を書いて欲しいと依頼されれば
「良い政治をしたら書いてやる」
と突っぱねるくらいにパンクス。
コレはもう昔の写真だ。
この話を聞いた時僕は涙が出た。なんでこんなにかっこいいんだろうと思った。
実は、彼女は筆を30年間置いていた理由があった。
それは祖父だった。祖父も聡明な人だったが、いつも彼女を台湾語でなじっていた。僕は台湾語が分からないから、何を言われていたのかは知らない。けれど、祖父は、自分より有名になりそうな彼女に常に腹を立てていた様に思う。だから、彼女が筆を取ると怒られていたという。
彼女は懸命に母親として働いたそうだ。
そして子供達が巣立った後、また芸術家としての彼女に戻った。
祖父の生前、孫の中で1番仲が良かった僕は、祖母から祖父の愚痴をたくさん聞いた。
そんな彼女は今、祖父の形見をいつも胸につけて、
「こうするとおじいさんが守ってくれるの。まだ一緒に生きているの。」と愛おしそうに僕に話すのだ。
僕には、まるで意味がわからないようで、なんとなく、最近は少しわかる気がする。
彼女の絵は、ジャンルで言えば抽象画だ。
しかし彼女の表現方法は他の抽象画とは違う。
彼女の中ではコレは写実された絵なのだ。
彼女は、絵では別のものを描きながら、根本にある生活をしていて見て感じた物を正確に描いている。
だから絵から見えるものとタイトルが、時々歪である。
(今回は敢えてタイトルは伏せておこうと思う)
僕が彼女から学んだことの多くは愛や生活感、そして表現者としての生き方だ。
僕は、表現というのは己が感じた事や、人間としての苦悩や気づきを形にするものであって、消して人にメッセージとして伝えるものではないと思っている。
メッセージの様に見えるかどうかでなく、メッセージを伝えたいという意識が自分の中にあってはいけない、そう考えている。
彼女は、伝えようとせず、意思表明を明確に映し出せば、必要な人に必ず伝わるとよく言っていた。
だから人からは抽象画に見えるくらいが丁度良いと言った。
しかし彼女自身は、抽象画を描いてるつもりはないと話した。
そして彼女は、創作過程で起きた予期せぬ出来事をそのまま利用している
偶然の失敗を、そのまま活かす。
思い通りにはいかない
だがそれが良い
たまたま跳ねてくっついた余計な色をそのまま使う
それが人生だと言う様に。
彼女はよく、人様の事はどうでも良い、自分はこうありたい。そう口にする。段々と歳を取り、少し性格が変わってきた様に思える昨今の彼女は、パンクス感が増した。最近は、それはおかしいこうした方がいいとよく人に言っている。笑
昔はとても優しいおばあちゃんだったが、それは母親という仮面を被った彼女だったのかもしれない。
母親を演じるために、愚痴を吐いていた。
けれども本当の彼女は、祖父を心底愛していた。
少し僕の話に移すと
僕は、「僕はこう考えている。」という事を常に周りに表現して生きている。
でも、僕の表現した事が誰かへのメッセージになるのを恐れている。
何故そう思うのか
どうしてそういう結論に至ったのか
何故それをするのか
その全てに理由を見出し、過程を明確にして、文章にする
音楽にする
叩く姿で表現する
人間はこうあるべきだと言うのは、ない
ないから、僕はこうすべきだと思うが、ある。
こうあってくれたら嬉しい、もある。
祖母に学んだ事を僕はやり続ける。それが、彼女の死後の1番の弔いになると確信している。
守破離で言えば、僕は
教えを守っている。
昨今、インターネットが普及して、目の前の人ではなく、不特定多数に向けて語りかける事ができるようになってしまった。
長らく時間がかかったが、やっと慣れてきた。
このシステムは、僕や祖母の生き方からすると、かなり面倒だ。
何故なら、何を表現しても、何かしらのメッセージになってしまう。
けれども、僕は過程で得た物事や考えてる事を、形として表現しているに過ぎない。
表現者は明確なメッセージを与えてはいけない。
僕が描くものは、僕の中の事であって、描いてる内容には大した意味がない。
一度、コロナ禍で書いたブログが、バズってしまった事があった。
コレが、僕が犯した失敗だった。
あれはメッセージになっていた。
最悪だった。本当に失敗したと思った。
メッセージが強すぎると、あらぬ方向へ伝わってしまう。
僕はあくまでも自分を偽りなく表現できる場所が欲しいだけ
祖母がそうだった様に。
しかし祖母は、自分を偽った30年間を過ごしていた。
この意味は一体なんなのか。
祖母はよく僕に言った。
あんたは良い芸術家になるよと。
正直もう辞めたいと何度も思った。しかし、祖母の意思を強く受け継げるのは、おそらく僕しか居ない。
そろそろ、破っても良いだろうか。
守破離とは何なのだろう。
人を大切に思うこととは、一体なんなのだろうか。
何かを見落としている気がする。
何かを。
偉大なる祖母へ 感謝を込めて